高校生よ、すぐに処女作を出せ。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:まだ文章を世の中に出してないキミは、早く出した方がいい。その作品には、いやでもあなたの本質が刻印されているからだ。いわば処女作が魂の置き場所で、あなたはいつでもそこへ帰る道しるべでもある。早くそれをやらないと、キミの核になるものが消えてしまうから。トップ画はhttps://qr1.jp/H7hDbm
第一作を早く出せ
処女作、なんて言う言葉は差別用語かな。
それは置いておいて,キミの第一作がまだ出てなければ、急いで出せ、と言いたいんだ。
別に芥川賞に応募しなくてもいい、noteでいいんだ。
キミが自由に書いた「作品」であればいい。
僕の処女作は、本でいえば「プロレスの経済学」だった。
しかし、世に出した原稿でいえば、「週刊プレイボーイ」への寄稿だったんだ。
今でも覚えている、内容は「猪木アリ」、だった。
青臭いプロレス論で、今でいう猪木信者の妄言のような読むに堪えない代物だった。
でも僕にとっては忘れがたいのは、雑誌で大きく取り上げてもらい、それも当時若者を引っ張っていたメディアだったこと、そして原稿料を6000円もらったことだ。
今なら3万円くらいになるんではないだろうか。
はっきり覚えているんだ。
処女作はキミの魂の寄港地
なぜ、急いで処女作を出さねばならないのか。
それはキミのみずみずしい感性が、大人になるにつれ失われる可能性があるからだ。
勉強のし過ぎ、苦労のし過ぎで、物分かりのいいおとなになったとき、キミの感性や思い、その青々しく、みずみずしいキミだけのその感覚が思い出せなくなってしまうからだ。
世間はそれを「大人になった」と表現する。
僕の好きな70年代ポップスグループCCR(シーシーアール。Creedence Clearwater Revival)のsomeday never comes という曲にこんな一節がある。
Well, time and tears went by and I collected dust.
時がたって、物わかりのいい大人になっちまった(超意訳)
そうさ、人生は生きれば生きるほど、ごみを集めてしまうのさ。
それはおとなの分別ってやつで、クリエイティブを志すキミには無用の代物だ。
しかし、いつまでも青いままでは生きていけないのも事実だ。
妥協は大人の知恵、ってね。
かといって、キミのいつまでも大人になり切れない感性を捨てちゃだめだ、もったいなさすぎる。
それはもう来月夏期講習に出たら最後、東大一直線でなんのロマンもない都会の高校生たちと顔を突き合わせるうちに、なくなっちゃうかもしれない。
だから書き留めるんだ。
綿矢りさに思う
16歳で「蹴りたい背中」で芥川賞をとった、天才少女・綿矢りさ。
僕は、受賞作をすぐに買って読んだけれど、全く理解できなかったんだ。
そりゃ無理だ、天才少女の感性が詰まった文章を、凡人の僕が理解できるわけない。
で、それから30年くらいたつのかな、彼女の最近作を読んだ。
学園もので、女性同士の愛を描いていた作品だった。
僕にだってそれがわかるくらい彼女は、かみ砕いて丁寧に、そして、
大作家らしく分かりやすくも深い印象を与える言葉遣いをしていた。
でもそこには「蹴りたい背中」は見つからなかった。
同性愛を描いた作品は見事な筆致だったが、16歳の感性はそこにはなかった。
いや、そうじゃない、凡俗のお前にわからないほど、彼女は飛翔して、
感性と俗性をアウフヘーベンしたのだよ。
さあ、キミも魂をその港に置いてくるんだ、誰にもないその感覚が消えてなくならないうちに。
僕もときどき、「プレイボーイ」に戻ることにするよ。
野呂 一郎
清和大学教授
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