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合気道養神館創始者・塩田剛三先生の名言の背後にあるもの


”最強合気道”養神館始祖の金言


孫子の兵法、戦わずして勝つを考える時にどうしても外せない人がいる。それは合気道養神館(あいきどう・ようしんかん)の創始者、塩田剛三(しおだ・ごうぞう)先生だ。彼の名言が名高い。「合気道とは、自分を殺しに来た人と仲良くすることだ」。これこそ、戦わずして勝つ、を説明してやむことがない。合気道そのものこそが、戦わずして勝つことである、と説いているのだ。

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合気会と養神館の違いとは

僕は養神館合気道はせいぜい数年やった程度で、この立派な武道を語るのはおこがましいが、合気会の稽古だけは長いので、あえて今回養神館合気道を語らせていただきたいと思う。

その昔、もうかれこれ半世紀も前の話だ。いま養神館の本部は高田馬場にあるが、武蔵小金井に本部を移したことがあった。

それはそれは大きな立派な道場で、青畳の広い3階建ての建物だったと記憶している。僕は近隣の小平に住んでいたので、道場オープンの知らせを聞いて入門した。その時はバカで(今もだが)、同じ合気道だから、合気会も養神館も同じ稽古体系だと思ってたのだ。

しかし、同じ合気道でもそうとう違った。一言でいうと、養神館はシステマチック、なのだ。技をかけるにも、角度や足の位置などについて、いちいちきちんと30度とか、50センチとか決まっている。

指導員の方は、チェックシートを持って、基本がどの段階まで到達したかを毎回点検する。技は必ず分解され、それぞれのパーツごとに、細かい説明がなされた。

合気会は、よくも悪くも、”流れ“だ。

分解するのでなくて、流れのままに一挙動で行うイメージだ。合気会のこのやり方に慣れていた僕は、養神館のこのやり方に面食らった。結局、養神館のやり方に馴染めず、大学入学の時も養神館の合気道部に入れなかったのは、この違和感だった。

しかし、今考えてみると、このきちっとした技の分解や動く角度、足の位置こそが「極意」だったのだ。素人が最短距離で合気道の真髄に近づく、塩田剛三先生が考え抜いた本質だったのだ。若気の至りと生来の愚かさで、それに気がつかなかったことが悔やまれてならない。

結果、より本物の合気道を養神館は実現していたのだ、そのことに、やっと最近(苦笑)思いが至った。

”神”との邂逅

幸運なことに、僕は一度、本物の塩田剛三先生を拝したことがある。手をとって教えくださった。その時の感触はまだ残っている。小柄な方だったが、オーラというか、神気に満ちていた。

合気道独特の、押す空気感でなく、引っ張る空気感というか、そこに無駄な力はなく、自然な感じだけがあった。

ふっとなごむというか、こちらが笑顔になる。道場という武術の緊張感がみなぎる空間の中でも、相手を油断させるがごとくの、その独特の柔和な雰囲気を感じたのだ。

あれこそが合気道を体現した空気感なのではないか、最近50年前のあの時を振り返って僕は思うのだ。

塩田先生の「自分を殺しにきた相手と仲良くする」は、だからなんとなくわかるのだ。僕が強盗で塩田先生と遭遇したら、相手を傷つける意欲が瞬時に失せるに違いない。

それは、塩田剛三の本当の強さであり、合気道の強さではないだろうか。

合気道の強さとは絶対的な強さ

合気道の強さとは、相手の気配を瞬時に見抜き、その攻撃をすべて読み、思い通り誘導したあとは、相手の力を利用して自然に制する一連の精神と肉体の運びである。いや、相手のその一瞬を見抜いた刹那、相手の戦闘意欲が失われている、秘術である。

合気道は、相手が殺意を持った瞬間に相手が負けになる武道のことだ。

それを塩田剛三師は、「殺意を持った相手と仲良くなる」と表現したのではないか。

と、偉そうに講釈をたれたが、字面的には間違いないのでは、と思うのだ。


合気道の意外な武器:当て身

養神館合気道の大きな特徴は、私が考えるに、顔面をがら空きにしない心得だと思う。

例えば、合気道では手刀で横面から、正面から打ち込む攻撃をさばく技がある。合気会では、ここをあえてシステム化してないのだが、養神館は打ち方、ディフェンスを相当詳しく研究し、生徒に教えている。

対空手や打撃を意識したものだろう。非常に実戦的と言われる一つの理由が、手刀の攻防ひとつにも、ある。

塩田先生のご著書を拝読すると、中国で暴れまわった逸話で、合気道の何がケンカに役立ったかという面白いエピソードがある。

それは「当て身じゃよ」とおっしゃっているのだ。

当身、すなわちパンチである。合気道の常の稽古をしているうちに、パンチが自然に一撃必倒になった、というのだ。これは、養神館の合気道をしている方々は、実感としてお持ちではないだろうか。

養神館の技術は、実戦で死地を切り抜けてきた塩田剛三の知恵が詰まっている。技には不敗の魂が込められているのだ。

塩田先生の「殺すつもりで来た相手と・・」は、絶対不敗の合気道の技術と精神が言わしめた、塩田剛三の自信、それがこの言葉の正体ではないだろうか。

僭越にも、合気道を調子に乗って語ってしまった。

おわびいたします。

最後まで読んでくれて、ありがとう。

明日も読んでくれ。

                             野呂 一郎

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