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「不幸というのは重なる」を実感した話

「不幸というのは重なる」幾度となくドラマや歌で歌詞になっているこのセリフ

僕は最近身に染みて実感している。今までは「勝手にその人が1つ1つのネガティブな出来事を勝手に繋げているだけだ」と思っていただけなのだが、どうやら違ったらしい。

16歳の夏、僕は学校に馴染めず不登校になった。(書こうと思えば具体的に書けそうだが思い出したくもない記憶なのでやめておく)
そこから、いろいろあって人間不信になった僕は友達のラインをほぼ全て消した。高校、中学の友達全て。とにかく人間という生き物が怖かった。外にも出れないくらい怖かった。いわゆる引きこもりになった。

秋になり、少しずつ学校に通う努力をした。しかし、人間というのは不思議なもので1度行きたくないと思ってしまうと、今まではなんともなかった学校の校門でさえも見るだけで頭痛と吐き気がするようになる。

12月、僕は学校を辞めた。

そこから地獄のような生活が始まる。
学校を辞めて100あったストレスが40ぐらいまで減った。家にいても特に何もすることはない。宿題があるわけでもないし勉強しないといけない教科があるわけではない。最初の1ヶ月はゲームばかりしていた。しかしだんだんとゲームにも飽きてきてゲームがつまらなくなった。小学校の頃夏休みに6時間スプラトゥーンをしていた僕からしたらゲームに飽きるなんて信じられない出来事だろう。

ある時気になってインスタを見てみた。友達のアカウントのブロックを解除してストーリーを見たら、文化祭の準備をしている様子がアップされていた。楽しそうにやっている友達を見て「僕は何をしているんだろう」と涙が止まらなかった。
悔しさや悲しさ、怒りなどもう訳もわからない感情で泣いた。

なんとか落ち着いた時、僕はもうヒステリックを起こしていた。
楽しそうな友達、毎日が楽しくない自分、僕も高校に行けてれば楽しかったんだろう、あいつらは高校に行く努力をしていないクソ野郎だ、そして卒業した時に僕を中卒というフィルターを通して僕のことを見て下に見るんだろう、あぁ全員クソだ、世の中全員クソだ。

18歳、通信制の高校に入学した。
通信制とはいえ憧れた高校生活に少し浮かれていた。
今現在も通信制に通っているが中間報告をしよう。「つまらない」それ以外の言葉が見つからない。どうやら通信制と全日制の高校は全くの別物だった。
(自慢ではないが学校に立っている先生に「おはようございます」と言った挨拶以外口を開いたことがない。)

19歳、父親が亡くなる。
もうここまで来ると意味がわからない。さすがに苦しすぎる。ただでさえ16歳からの3年間何一つ面白いことがないのにこんなことをされちゃうと流石に神様を恨んでしまう。
「事実は小説より奇なり」なんて言った人がいるらしいがこんな小説があったら思わず手に取るに違いない。
とにかく本当に意味がわからないのが現状である。

「不幸というのは重なる」という言葉。信じていなかったが信じざるを得ない。
もしこれ以上不幸なことが起きたら僕は死ぬまで神様を恨み続けるだろう。
だから、もうこれ以上不幸なことが起きないように神様にお願いしておこう。

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