何かをすることで、生き甲斐は生まれてくる。
最近、パラリンピックやってますね。
私自身はスポーツには縁がなく、好みも全く違うので、
さほど意識しては見てなかったのですが、
最初から障害があったというよりも、
途中から障害者になってて、その中でスポーツという
目的あるいは手段を見つけたという人が多いと
テレビ番組から知りました。
あの堕落しきった腐臭の漂う「24時間テレビ」にはない、
ある意味で本当の生き甲斐を求めている人達です。
個人的に競技自体ももともとのオリンピックよりも
面白いと思っていて、テレビでやっていると
長時間ではないにせよ、ぼーっと見てしまいます。
岡田さんの意見は面白い。
テレビ自体がある意味、「安物」で、
ありきたり、陳腐なものの象徴になっている気がします。
自分より一回りも下の知人が、鬱状態になっていて、
生き甲斐がない、人生がつまらないとSNSで嘆いていた。
内容が深刻だったので、
リアクションはできなかったのだけど、
色々と考える部分がありました。
いろいろ制限がある中でも、一見、そんなものやっても意味ないと、
先入観が邪魔することがあるかもしれないけど、
何かをすることでそのループから抜けられるのでは?
植物を育てる。
写真を撮る。
絵を描く。
楽器を練習してみる(←自分の場合)etc.
ここで音楽を聴く、とか、本を読む、とかの受動的な、
活動性の低いものを選んでしまうと
次なる発展性がないのです。
ここで遠征してライブ見にいく、と変化すると
ぐっと能動性が高まります。
飽きてしまったループから、非日常になることで、
一瞬でも爽快感がある。
自分で何かをする、英語でいうところのactivityが必要です。
パラリンピックでは知り合いの知り合いがメダルを取りました(驚愕)。
それまでの道のりはとても大変だったのだと思うのです。
簡単に取れるもんじゃない。
そんなに大きな成果じゃなくても、日常の中での小さな成果でもいい。
それが次なる展開へのきっかけになることを期待して。