林芙美子『小さい花』を読んで全裸になった話

こんにちは、のり子です。
ひろゆき著『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』を読む時間を割いてまで、この記事を読みに来ていただいて、ありがとうございます。

みなさんはある一つの作品と、深く関わったことはありますか?
私は何度かあります。気になったものを追求するタチなので、好きな作品ができた時、私はずっとそれに関わる様々なものを遍歴するようになります。
今回はそういう話とは少し違います。

さて、林芙美子全集をランダムに読んでいたのですが、驚くべき作品を見つけました。

『小さい花』

みじかい小説です。
このとってもみじかい小説が私にとっては大問題で。

冒頭を読んだその瞬間から気になって昨日から追求し始めたのですが、その途中経過を文章にします。
(※「途中経過」とかカッコつけてはいますが、追求をことさら続けるつもりはありません)

……んん? あれと酷似してるゾ。

『小さい花』

ずゐぶん遠いむかしの話だけれど、由はうどんやの女中をした事がありました。

の一文で始まります。

もうこれが、アレなんです。まさにアレと全く同じなんです。

主人公は由ちゃん。読み方はまだない。

彼女は船に乗って「因の島」へ行きます。
そしてこういう文章が続きます。

バスケツトや行李のやうな高価なものは買つて貰へなかつたので、由の持ちものと云へば、襯衣の空箱に一二枚の着替へのものと、白いハガキが四五枚、それに馬琴の弓張月と云ふ、青く古ぼけた本とそれきりで、うどん粉の匂ひのする化粧水のやうなものも一本持つてゐたやうです。幼いうちにはしかを病んで顔にそばかすがありましたので、由の母親は「海辺に行くとお前のそばかすは濃くなる故これでも塗つたらええぞな」と云つて、何時買つたとも判らぬ、うどん粉の匂ひのするその化粧水をくれたのですが、此化粧水は島にをるあひだぢう塗つた事はありませんでした。

島についてすぐ由は島の子に出会って、ラムネ瓶を開けてあげます。
うどん屋に奉公をしにきたのですが、仕事というのは誰よりも朝早く起きて〈うどんのだしを煮ること〉でした。
これは由が三週間、慣れない地での暮らしに適応するのを見守るような小説です。最初は悲しんでいたのが、なんだか空気感を掴んでその中に楽しみを見出してゆく。その様子が優しく瑞々しい文章で綴られます。

さて、ダラダラ書評私にはできないすばらしいお仕事まがいなことなぞせずに、早速、何に酷似しているか発表しましょう。

それは、尾崎翠の『第七官界彷徨』で、あります。

『第七官界彷徨』

こっちの小説は、

よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。

という文で始まります。
主人公は安倍晋三で、兄二人と従兄弟のお兄さんとが住んでいる家の炊事係として引っ越してきます。掃除、洗濯、料理などをして暮らします。
遠い地から電車に乗ってやってくるのですが、こんな描写があります。

私のバスケットは、私が炊事係の旅に旅だつ時私の祖母が買ってきたもので、祖母がこのバスケットに詰めた最初の品は、びなんかずらと桑の根をきざんだ薬であった。私の祖母はこの二つの薬品を赤毛ちぢれ毛の特効品だと深く信じていたのである。

安倍晋三もやはりこの特効薬を使用せず無視し続けます。

どうですか、ここまで驚くべき一致。

林芙美子と尾崎翠

1. 芙美子に関して

林芙美子は福岡県門司市もじしに生まれ、放浪記を書いたことからもわかるように長崎市、佐世保市、下関、鹿児島、尾道など転々とします。尾道に住んだのは十三歳の頃。そして十九歳で尾道高等学校を卒業したその年、旧知の岡野軍一を頼って上京したのですが、その岡野軍一が『小さい花』の舞台である因島出身なのです。
翌年、大学を卒業した岡野が故郷へ帰ったことで、芙美子との結婚話があったらしいのですが解消になったのだと。
芙美子にとって、因島はどういう場所でしょうか? 解く鍵になると思います。
しかしまたその四年後、1927年、芙美子二十四歳の時、夫となった手塚と共に因島を訪れます。さらにそこで岡野家も訪問する。
そこで何があったかは、知りません。

2. 尾崎翠とは、

尾崎翠とは、

明かしたくは無いけれど、のり子が一番好きな小説家であります。

芙美子より七歳歳上。
鳥取生まれ。
二十二歳で日本女子大学に合格し上京。
在学中、小説を書き中村武羅夫むらおのもとに届けると認められ『新潮』に載ったけれど、大学がそれを認めなかった。当時女流小説家の多くがそうしたように、翠も中退し、小説家として生きてゆく道を選んだ。
でも、実際は厳しく、なかなかうまくいかなかった。

ざっとこんな感じです。

3. 二人の関係。そして作品へ、

この二人、実は仲の良い友人同士というか芙美子が翠を慕っていたのです。
で二人はごく近くに住んでいた時期すらあるのですね。
尾崎翠マニアなら知っていて当然の知識。
翠はのちにその自分が住んでいた部屋を、芙美子に紹介して、芙美子がそこに住むことになったり。(その事情についてはこの2階家の様子は、林芙美子の『落合町山川記』に詳しくあります。エッセイダヨ)

なので『小さい花』を読んだ時、びっくりしこそすれ「なんじゃこりゃ」とは思いませんでした。「ああ、こんなところに痕跡が」と思ったのです。

『女脳文学特集』という本にこんな記述がありました。

林芙美子は翠と文子(翠の親友:のり子注釈)の住む家によく遊びに行っては、何かいい小説のネタはないかと尋ねたり、台所にかけこんで米びつをのぞいて、「いっぱいあるのねえ」と羨ましがったり、無邪気に甘えていた。

P37

sate,honndai,ni,modoruto

……んん? あれと酷似してるゾ。の章でお見せしましたように、『小さい花』と『第七官界彷徨』は似ている、どころか導入、構成、同じです。なので、たまたまである可能性はゼロなのですが、

そうなるとやっぱり気になるのが、どっちが先に書いたのか?

ちなみに、上記の仲良しエピは1927年ごろのこと。
『小さい花』がいつ書かれたかという重大な情報はネット調べても、図書館で調べても、かけらひとつも出てきませんでした。
ですが『第七官界彷徨』に関しては翠フリークであるのり子なら当然情報を握っているのですが、おそらく1930年の秋頃から執筆を始めています。

話としては『小さい花』の方が圧倒的に単純です。そして短い。
なのでこちらが先で、それに触発されて翠が練りに練ったあの小説を書いたのでしょうか。

(小説をちょこちょこ書く身として付け加えると、小説というのは思いついて即書くものではありません。思いついてから熟成期間に入り、ようやく機が訪れると攻勢に入ります。そして大方の予想がついたら書き始める。そしてそっから時間がまたかかる)

なのでやっぱり『小さい花』が先な可能性は、大いにあります。

というよりおそらくそうかな、と睨んでおります。

この年(1927年)に芙美子は因島も訪れているわけですし。
でも決定的にはわからない。、肝心の『小さい花』が書かれた時期がわからないことが原因です。

それともしかするともうひとつ前の、別の作家の別の作品に元ネタを辿れる可能性もあります。
とか言い出したらキリがないけれど。

みなさんもぜひ、お互いの小説『小さい花』『第七官界彷徨』を読んで、どっちが先に書かれたものか、直感的に感じてみてください。

ゴーストライト疑惑

こっから危険ゾーンです。
ひろゆき著『なまけもの時間術 管理社会を生き抜く無敵のセオリー23』片手に記事読んでた方は一旦、本を閉じていただいて。
コムドット やまと著『聖域』片手の方はブラウザバックして『聖域』に集中してください。こんな三文記事を意識に持ち込まない方がいいですよ。

さて、話は『小さい花』から離れます。

「林芙美子全集」の中からこんな文章、見つけたよ。

 わたしは刑務所を見にゆくと云うことは初めてのことです。早い朝の汽車のなかで、わたしは呆ぼんやり色々のことを考えていました。
 この刑務所をみにゆくと云うことは、本当は一ヶ月前からたのまれていたのですけれど、何だか自分の気持ちのなかに躊躇ちゅうちょするものがあって、のびのびに今日まで待ってもらっていたのです。

「新生の門:——栃木の女囚刑務所を訪ねて」

↑これ、林芙美子の文章じゃない!

朝の汽車はたいへん爽さわやかに走っています。野も山も鮮やかな緑に萌もえたって、つつじの花の色も旅を誘うように紅あかい色をしていました。

「新生の門:——栃木の女囚刑務所を訪ねて」

林芙美子こんなこと書かないもん。「色々のことを考えていました」とか自然が美しい風な描写とか。芙美子は女と男と食べ物と仕事。それしか書かない。

「じゃあ、いったい誰の文章だと言いたいのだね、のり子くん」

「そ、それはぁ……」

「怖がらずに言ってみたまえ。おじさん、怒らないからさ」

「うーん……

きっと尾崎翠の文章だと思うんだなあ……。
てか、半分確信しているんだなあ……。

なぜなら、尾崎翠フリークであると自分を称して言いましたが、実はのり子というのは、寡作で作家生活を諦め鳥取へ帰って以来何度頼まれても二度とペンを持たなかった尾崎翠に変わって、「もし彼女が文章を続けていたら、どんな小説を書いたのだろう」という目的のために小説を書いたのがきっかけですから、彼女の文章のクセは重箱の隅まで知ってるつもりです。
そんなのり子がいうんだから、そうです。
これは林芙美子の文章ということになって世に出ていますが、尾崎翠の文章です」

と決めつけるのは良くないかもしれません。
林芙美子が尾崎翠の文章を真似して書いたのかもしれません。
でも、少なくとも言えることは、林芙美子の素の文章ではないばかりか、彼女の文章の趣味とも異なるということです。
これは暴きたい。
その証明だけはいつかやりましょう。

コムドットの『24時間逆鬼ごっこ』企画もそろそろ終わりそうなので、私の文章も一旦終わりということで。

おわりに

皆さんにとっては「知らない小説」と「知らない小説」が似てる。という話だったことでしょう。
そういうことだったでしょうが、ここまで付き合っていただいてありがとうございます。
久しぶりに文章を書いたので、思うようにいきませんでした。
また感覚を戻したい。

で、なんだかんだあって全裸になりました。


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