同一化(対父)の自覚
精神科医(斎藤学さん)による、ある女性(東電OL殺人事件の被害者)への分析を単なる興味本位で読んでいた。全く予期せず、その女性のありよう(他界した父親を取り込む生き方)と自分が重なった。
・自分の人生を生きていない
・取り込んだコトのために生きる
信仰のためであれば素晴らしいと思っていたことを別の視点から見てみたら恐ろしいことだと感じた。
マインドコントロールから解き放たれたような感覚になった。
斎藤学さんと同じ慶応大学医学部出身の小此木啓吾さんの「対象喪失」(中公新書)でいうなら「取り入れと同一化(※)」から解放された感じだと思う。
※取り入れと同一化(小此木啓吾さんの「対象喪失」P168より)
失った対象の喪失は、その対象と自分が別個の存在であるという認識を前提にしている。ところが対象喪失の苦痛に耐えることができない場合、相手と自分の自他の区別(境界)を否定してしまうことで、対象そのものを、否定してしまう。対象そのものを、自分の中に取り込み、自分がその対象になってしまう心理機制。
【四人家族の父】
他界した父と同一化しようとすると、父の役割を引き受けようということが起こっていた。
四人家族の次男が、父に、なろうとすることの不自然さは、家族関係を振り返る時に、次男が引き受ける必要のないことまで引き受けようとする不自然さとして浮き彫りになった。
【宗教団体の父】
宗教活動中(仕事は公務員であり、宗教団体の団体職員ではない)にくも膜下出血で倒れた父の役割を引き継ごうと、団体の文脈で父の死を解釈し、団体指導者が父の転移の対象となる(転移については別記事)。
母、兄は信仰心が弱かったことが、余計に自分がしっかりして家族の信仰を揺るがないものにしなくてはという思いを強めた。