B40-2021-21 音楽と契約した男  瀬尾一三


 

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明星の歌本を開けば歌詞だけではなく、作詞家作曲家、そして編曲家の名前まで載っていた。私が小学生の頃である。少ない小遣いで、あるいは母親に買ってもらった明星の付録である歌本を眺めるのが好きであった。

多分その頃からであろう、表に出てくる歌手そのものよりも、その作品を創っている側に興味を持つようになったのは。
映画でもそうだ。役者よりも監督、脚本家が誰か、ということに関心を抱くようになっていった。ごく自然に。

明星の歌本には、さすがにその曲のプロデューサーまでは明記していなかったが、それでもたまに特集で取り上げられてもいた。
やはりそのような記事を、私は熱心に読んでいたような記憶がある。
根が裏方志向なのであろう。

その頃、やはり圧倒的に目にした名前が松本隆と筒美京平だった。
何なんだこの人たちは、と思った。手がけた楽曲の多さもさることながら、良い曲が何しろ多い。いわゆる狙いにいってるキャッチーな曲の量。曲のスタイルの豊富さ。ひとつひとつの曲のカラフルさ。
職業作家とはこのような人達のことを云うのだろうと、子供心にも学んだ気がする。

職業作家とはまた少し異なる、「職人」に近い作家がいる。
私にとって瀬尾一三は、そのような職人というイメージがある。
決して人口に膾炙する楽曲ばかりを手がけているわけではない、が、自分の好きな曲をよくよく調べてみれば、瀬尾一三編曲、プロデュースの曲の、なんと多いことか。

「いちご白書をもう一度」の、一気にあの時代に持っていかれてしまうイントロ。エレクトリックギターのあの音色が、自分の身体にもう沁みついているような気がする。
中島みゆきは音楽的伴侶として最後にいい人を選んだように思う。
流石だ。
ひとつの楽曲は、アレンジャーで決まるところが往々にしてある。
足せばいいものではないのだろう。いかに引くかも大事なのかと思う。
ひとり工房みたいなところで、寡黙に眼だけを光らせて、ひとつの楽曲に向き合っている「職人」の瀬尾一三の姿を私は思い浮かべている。




  















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