B38-2021-19 数学でつまずくのはなぜか  小島寛之

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 算数・数学に対してアレルギーがある自分は何故数学が不得手なのだろうと時々考え込むことがある。
 そのように考えることは、すなわち、算数・数学が得意な人は何故得意なのだろうという疑問を引き連れてくる。
 不得手な自分と、得意とする人との違いは何か。その境界線はどこにあるのか。いったい何がその二股道を分けるのか?
 自分からの目線で考えるとすれば、計算式で答えを出すということは、つまりそこにあるべき解答に向かって突き進んでいくことである。
 「絶対に解答を導く」というその姿勢がおそらく、苦手なのかもしれない。
 しかるべき答えがそこにあって、そしてその答えは一つである。その揺るぎないのっぴきなさに冷徹な何かを感じるのか。怖さを感じるのか。心を触れ合わせることのできない距離を感じるのか。
 自分は他人が、秘密や、ぜったいに見破られたくない感情をそれぞれ抱えているのだ、ということを信じているようなところがある。
 そこのところを数学者は、情け容赦なく、まっすぐに突き進んでくる。そんな気がする。もちろん人の心と数字は違う。しかし数字を追うそのアティチュードは、それ以外にも派生しているような気がしてならないのだ。

 僕は数学にかぎらず「正しい答えなんか、べつに解らなくたっていいじゃないか」みたいなところがある。謎は謎のままにしておいても別段苦にならないたちなのだ。わからないものをわからないままにしておく。
 どうしてと問われても困るのだが。たとえば「正しい答え」というものは、しばしば間違っており「正しくない答え」こそ意外なところで実は核心を突いているという事がないだろうか。
 そのひねりの効いた現象こそが存外世界に満ちているような気がする。

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