『誘拐』を読み終わって。


ロバート・B・パーカー(著)、菊池光(訳)

引っ越しを考えている。
けれどなかなか気に入る物件が出てこない。
駅に近いほうがいい。あるいはバス停。
急いではいないが、そんなにのんびりもしていられない。
歳が歳だからだ。54歳。
あまり年齢を食うと、貸してくれる物件が絞られてくる。

むかし、自分の書斎がもしあったら、そこに並べたい本があった。
ロバート・B・パーカーの、スペンサーシリーズだ。
ずらっと40作ほどのシリーズをそこに並べて気まぐれに手に取って読むのが良い。
どれを読んでもハズレなし。
スペンサーという強烈なキャラクターが、もうこのシリーズの勝利を示している。場合によっては個人的にフィリップ・マーロウをも凌駕するほどだ。
もっとも、これは比較するものではないけれども。

本作「誘拐」は、有名だが、のちにスペンサーの恋人となるスーザン・シルヴァマン初登場のシリーズ第二作目だ。
スーザン・シルヴァマンはこの作品では犯人の居所をスペンサーに教えるたいへん重要な役である。
そして驚くことにそのキャラクターはすでに最初からもう完成している。
このあと、何年もスペンサーシリーズといえばスーザン・シルヴァマンか黒人の相棒ホークかというくらいになる、最初の一歩の記念すべき作品だと思う。

息子が誘拐されたと、その両親がスペンサーのもとにあらわれる。
依頼を受けたスペンサーは調査を続けるうちに、不自然な部分に気づく。
実は少年は誘拐されたのではなく、家出をしたのだった。
少年はゲイのボディビルダーに心酔し、彼のもとで暮らしていたのだ。
そこに殺人もからんできて、話が入り組んでくる。
ラストがやっぱり、いい。
スペンサーシリーズの終盤はほんとにうまく話を持っていくなあとあらためて思う。
適役のボディビルダーとの決闘シーンである。
まずは両親がふたりして、彼に立ち向かってゆく。
母親も父親もボコボコにされる。しかしふたりは自分の子供を取り戻そうと必死だ。
いっぽうボディビルダーの方も、必死だ。
少年を誰にも渡したくないのだ。
やがてスペンサーが相手になる。体の大きさではスペンサーの方が劣るが、しかし技術がちがう。
スペンサーの巧みなファイトでボディビルダーはついに力尽きる。
その場に倒れ、もう起き上がれない。

このシーンでスペンサーが少年に云うセリフが、とても善い。
数あるスペンサーシリーズの名シーンの中のひとつである。
立ち向かっていく両親も、そしてスペンサーに打たれ続けるボディビルダーも、決してあきらめなかった。
そこをスペンサーは見逃さない。
少年にこんなことを云う。

きみは最近、誰かのために精一杯尽くしたことがあるか?

何が悪いか正しいかを、ことさらに主張はしない。
ロバート・B・パーカーは、その人間の姿勢をあくまでも描き、それに対するひとことをスペンサーに語らせる。
悪者はたしかに悪い事をしたけれど、しかしそれを越えた「根性」のようなものをスペンサーは認める。
それに付随して読者である自分もそこに納得をする。
その説得力たるや、さすがスペンサーだと感じる。

二十代・三十代・四十代と、ずっとスペンサーを読んできた。
パーカーの違うシリーズや単発モノも手に取って読んだ。
どれも素晴らしいが、でもやっぱりスペンサーシリーズは別格だ。
気の利いたセリフ。皮肉。ひねったユーモア。ペダンチックな会話。仕事の仕方や人に接する姿勢。
思えばスペンサーからはずいぶん多くを学んだような気はする。
でも残念ながら自分は未熟だ。
離婚もしたし、仕事だってうまく行ってるとはいえない。
自分が選んだ道を、まっすぐに信じて突き進むファイトすら持っていない。
情けないかぎりではないか。
生きていくのに精一杯だった、といえば聞こえのいい理由になるがそうではない。
友部正人が歌うように自分は「旅に出なかった」のだ。

新しい住処が、うまく見つかるといい。
書斎とまではいかないまでも、気に入った本を並べることの出来る本棚をひとつ、置いてみたい。
その本棚にはスペンサーシリーズの原書が一冊置かれることになるだろう。


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