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遺伝子のささやく声が聞こえるよ   動的平衡2 福岡伸一(著)


木楽舎

私たちは幼少の頃より青信号は青色と刷り込まれてきた。
したがって大人になった今、青信号が緑色をしていてもあれは青だと思うし人に話す時も「あれは青だよ」と説明するだろう。

同じように赤信号が本当はオレンジ色でもあれは赤。

真実を目の前にしながら時々混乱してくる。
いま目にしている色は自分はその名前を知っているけれども、しかし、世間一般では異なる色の名前で呼ばれている。
異なる色の名前だけれども、それはそれで通っている。正解ではないけれどそれは人口に膾炙し市民権を得、通説となっている。
正解ではないけれど正解なのだ。
矛盾ですらない。

正しさと過ちについて、私は深く考えたりはしない。
どちらかというとそれはどちらでも良いと思っている。
正しさが「美」でもなければ過ちが「悪」でもないと思っている。
嘘をつかない人間がこの世に居ないように、まったく正しさのカタマリ、みたいな人間は存在しないのである。
なるべく正直に生きたいともがく人間はいるだろうけど。

テレビとラジオについてしばしば比較する。
その存在意義について。
その相対性について。

私がラジオを好きなのは、テレビよりマシ、という理由ではなさそうだ。
もしもこの世にラジオしかなくても私はきちんとラジオが好きでいるだろう。
なぜならばテレビは嘘が多いからである。
でも嘘は嫌いではない。
しかし公けに嘘を聴かされたり見させられたりし続けると、頭の中が混乱してしまう。
頭の中が混乱してくると、身体の具合が悪くなってくる。
まっすぐ歩けなくなる気がする。
まっすぐ歩けなくなれば、信号機にあたってしまったり、犬を踏みつけてしまう恐れがある。
初恋の人にばったり出会ってしまう危険性だって可能性としてゼロではない。

テレビは嘘が多い、と書いた。
そう。
テレビは嘘が多いと思う。
胡散臭い気がする。
寒気がする。
しかし真実ももちろんあるだろう。
テレビ的真実。
嘘をベースに真実を散りばめているのだ。

ラジオは真実が多い気がする。
性質上、ラジオは情報を伝えるメディアだから。
天気、相場、道路状況、事件事故など。
耳に入ってくるものだけが頼りだから伝え伝わるものが限定的だから。
けれどラジオにだって嘘はある。
もちろん。
ラジオ的嘘。
真実をベースにして偽りが立っているのだ。

本はどうだろう。
本はなんだか濃い印象。
嘘と真実両方混じり合って、グラデーションになって、マーブル模様になって美味しそう。
嘘はものすごく真実味のある嘘だし、真実はものすごく胡散臭い真実である。
天国と地獄をめぐるツアーに2泊3日のバス旅行。
得体の知れない人生。その尻尾を掴みたい。

本に答えはない。
ひとはそれにそれを求めてしまいがち。
けれどもそれは無理である。
ヒントすら怪しい。
それはヒントに見せかけた問題提起である。
罠である。
ありがとう。

何だかわからないけれど面白いぞ、というのが福岡伸一の著作である。
知的好奇心のカケラが自分の身体の奥底で光っているのが認識できる。
それは絵画、有象無象の研究者たちの光と影。音楽や昆虫。
幅広い話題で飽きることがない。読んでいて。
一緒にお酒を呑みたいな。


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