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コラム:香港における白系ロシア人調査(ニュースレターNo.105、2024年4月号)

 昨年末、9年ぶりに資料調査で香港に赴いた。香港におけるロシア人およびその映画表象について調べるためであった。特に1950年代において、数千人の白系ロシア人移民が中国から香港へと流入したという記録があり、80年代までには2万人以上のロシア人が香港を通過したとされるが、詳細は判明していない。

 1917年のロシア革命後、祖国を逃れた何千人ものロシア人移民が香港に渡ってきた。いわゆる白系ロシア人は、世界で最も古い難民グループのひとつとされ、主に職人、商人などが多かったようだが、いわゆる赤色ボリシェヴィキのグループとは対照的だった。ロシア革命後、彼らは中国(満州、上海、ハルビンの一部)に避難した。そして、60年代から70年代、中国で文化大革命が起こると、彼らは香港に新たな故郷を探すことを余儀なくされた。

 1960年代の地元紙『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』は、「これらの難民が19世紀のロシアの農民の衣装を身にまとって通りを散歩する姿は、すっかり見慣れたものとなった」と記している。これらのロシア難民は「すべてホテルで寝泊まりし」「費用は国連難民高等弁務官事務所と世界教会協議会が分担していた」と、当時のロシア難民調査の香港側担当者はコメントしている。本国への送還を待つ期間が長い場合、食事や小遣い、その他の基本的な費用が提供されたという。

 香港では2020年から国家安全保護法が施行されており、これを補完するものとして2024年3月には国家安全維持条例法が可決、施行された。ロシア人移民関連の資料閲覧のため、旧知の知り合いの勤務する地元の大学へ入構しようとしたのだが、上記の法による大学側の措置に基づき、事前に申請しておく必要があるとの理由で、直前の約束では学内での面会もかなわなかった。仕方なくかつて訪れた繁華街を歩きながら、自由で国際的な都市だった頃の香港を想いつつ、その変わり様を実感した次第であった。

(『Intelligence』購読会員ニュースレターNo.105)[2023年4月25日付]

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