【読書感想】100分de名著~華氏451度

 最近はまっている100分で名著シリーズの中で華氏451度についての感想を紹介したいと思います。華氏451度は世の中の社会風情にそのまま流されていくことに対する問題について、疑問や気づきを与えてくれる本です。当たり前だと思って何も考えずに受け入れるのではなく、一度立ち止まって考えることの大切さを教えてくれます。SNSやITが発達した現代社会では、日々の忙しさ奔放されることで、反射的になっていきやすいですが、ゆっくりと考える時間を作ることが必要だと感じました。そして、気づきや成長をしていくために、人との対話が大切であることが言えます。

作品の概要

 華氏451度は主人公であるモンターグが、人物との出会いを通じて、社会や日常生活の現状に対して、主体的に考えるようになり、成長をしていく物語です。モンターグ自身も禁じられた本を燃やすファイアマンとして、誇りと喜びを感じており、体制順応主義者の一人であったのです。しかし、気づきを与えてくれる人々との出会いを通じて、社会に対して批判する側の人間にとなっていきます。

レイ・ブラッドベリの紹介

 アメリカ出身のSF作家で、詩人ととしても活躍した。高校卒業後は、経済的な理由で進学せずに、図書館で独学で勉強しながら、作品を作り上げて、出版を重ねていった。代表作は「華氏451度」、「火星年代記」などが挙げられる。「華氏451度」は9日で書き上げた「ファイアマン」を、3年にわたって徐々に膨らませて完成した作品である。

華氏451度の時代背景

 1950年代のアメリカのパロディについて描かれた本となっています。1950年代のアメリカは4つの特徴があります。

ファシズムの記憶が残っている時代

 1930年代は非ドイツ的とみなした著者の作品を焼く焚書や絵画などの芸術作品を破壊することを組織的に行っていました。第二次世界大戦直後のアメリカは、ナチスと日本のファシズムを駆逐した世界的なリーダーという自信がありましたが、国内の政治や社会的状況によって徐々に損なわれていく時代です。

冷戦と核兵器

 アメリカが背啓発の核兵器を開発・使用しましたが、1949年にソ連も原子爆弾の実験に成功すると、アメリカの独占する時代が終了して、冷戦へと発展しました。

レッドパージ

 ファシズムを駆逐して、誇りと自信に満ち溢れていたアメリカですが、世界での共産主義の広まりにより、不安が高まっていきました。そんな中、ジョゼフ・マッカーシーが政府の上層部に共産分子がいるという演説をしたことで、アメリカは不安と恐怖、猜疑心と不合理が横行するパラノイアな社会に変化していきました。

大衆消費社会の本格化

 アメリカは、赤狩りと共産主義に対する怯えや不安に付け込んで、体制順応主義への誘導を進めていきました。その中で、推奨されたのが消費であり、その象徴がテレビでした。この時代は名作と呼ばれるドラマが次々と放送されて、テレビにくぎ付けになっていました。

ブラッドベリの疑問と批判

 ブラッドベリは、ひとびとが社会に対して批判的なまなざしを向けることが困難になっていることに気づいて、恐怖を感じるようになったのでしょう。そこで、その社会の少し未来を描いた作品が華氏451度になります。ブラッドベリは、全体主義的な傾向とテレビを結ぶ付けて、社会に対する問題や少し先の未来を描きました。

印象に残ったこと

比喩による描写

 華氏451度はたびたび、比喩を用いて、社会情勢について表現しています。超小型ラジオが「巻貝」と呼ばれていたり、機械猟犬が登場します。これは、社会では機械も動物も違いはないということを比喩しており、人間も同様です。体制順応主義の社会では、人々は取り換えの利く存在であり、特定の人である必要がないのです。そのため、モンターグの奥さんであるミルドレッド死に掛けているときの対処が「治療」ではなく、「修理」と表現されています。

視聴者参加型テレビが表す社会の特徴

 ミルドレットがはまっているテレビでは、視聴者がドラマの登場人物の一員になれる仕組みになっています。役者が画面からこちらを見つめながらセリフを発した後に、送られてきた台本のセリフを言うことが出来ます。視聴者参加型のドラマから読み取れる社会の特徴として、すぐに答えを迫る社会であるということ、人々が取り換えの利く存在であるということが読みとれます。

 ドラマであるため、すぐに答えないとバーチャルな人にすら無視されるということになります。そのため、立ち止まって考えずに、すぐに反射的に回答することが求められることを意味してます。

 ミルドレットの役割は、あくまで空欄のセリフを埋めるための役であるため、他の誰がやっても構わない役になります。これは、モンターグのファイアマンの職業も同様であり、この社会ではいくらでも取り換えの利く社会であることを意味してます。

クラリスの問いによる気づきとモンターグの成長

 モンターグの最初の教師となる17歳の少女クラリスはモンターグを質問攻めにします。この社会では問いを持つこと自体が珍しい社会なので、クラリスは、狂人のような存在なのです。そして、クラリスはすぐに答えられないといや経験の記憶についての問いをモンターグに投げかけていきます。モンターグが知らないことや経験をしていても、何も考えずに見過ごしていることを質問されるため、答えることが出来ないのです。しかし、モンターグは、クラリスの問いによって気づきを得ることが出来るのです。

 自宅に帰ったモンターグは闇と冷たさをイメージさせる寝室で横たわっているミルドレッドを見て、幸福じゃないことに気づくのです。クラリスは語るのではなく示したり、教えたりするのではなく問いかけたりすることで、モンターグに気づきを与える存在です。クラリスは社会全体が意味のある対話をしていないと考えているため、モンターグに質問を通して、対話をしていたのでしょう。

知識人フェーバーの教えと無力さ

 フェーバーは知識人の無力さを象徴しています。それに対して、モンターグはある程度自分で考えながら、行動できるように主体的な人になった状態で、フェーバーに出会います。フェーバーはモンターグに本の本質と価値は、①情報の本質②消化するための時間・余暇③学んで行動を起こすための正当な理由と説きます。そして、モンターグはヘタレなフェーバーの臆病さを責めて強引に協力させて、ベイティーに立ち向かいます。フェーバーは反面教師として、モンターグに本の本質の価値を植え付ける役割を担っています。

悪魔的象徴のベイティーの洗脳

 ベイティーはモンターグの変化に気づいていて、先回りして行動します。ベイティーは雄弁で饒舌な人であり、レトリックな演説でモンターグを同じ側に引き込もうとしてきます。モンターグは、ベイティーに見込まれていたのです。レトリックな演説は、モンターグに考えを整理させることを困難にして、思考を停止させることで、モンターグを洗脳しようとします。思考を停止させる行為は、視聴者参加型のテレビとやり口は異なりますが、目的は一緒だとも言えます。あくまで、ベイティーは本を禁じるのは、人々の不安を排除することで、平和にするためだと主張します。

 ベイティーは最終的にモンターグを混乱に陥れて、モンターグによって焼死します。しかし、最初のモンターグの説得や、フェーバーとモンターグとの討議や最後の死の間際まで、本の引用を用いて、話しかけてきます。これは、ベイティー自身も本の魅力と本質を知っている人物であるからこそ、出来ることだと言えます。だからこそ、権力の立場であるベイティーは、本の存在を恐れているのでしょう。

忘れることが前提の社会

 クラリスは突然、交通事故でなくなってしまいます。しかし、ミルドレットは隣の家の少女が亡くなったという重大なニュースを忘れてしまっているのです。この忘れっぽさはモンターグとミルドレットが典型的な市民であることを示しています。社会全体が忘れっぽいということは、反省をすることが出来ないため、現状で良しとする社会を表しています。そのため、記憶や記録の媒体となる本がこの社会では不都合であるため、焚書が行われています。忘れることが前提の社会であるからこそ、取り換えの利く存在であったり、批判的思考がない社会が成り立っているのです。本は、自分の知らない思想や視点を歴史として学ぶことが出来ます。それは、順応主義的社会では脅威であることを示しているのです。




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