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エッセイ 悲しき軍歌(改題)

 昭和31年生まれの私にとっての、最初の戦争の記憶といえば、傷痍軍人だろうか。熱田神宮にお参りに行った時など、駅前とか参道で、義足、義手に白装束で、義捐金を募っていた姿が目に焼き付いている。子ども心には、義手、義足が怖く感じたものだ。
 言葉として、最初に戦争を感じたのは、軍歌であったと思う。その当時は戦争映画、戦争漫画がまだ人気があり、それらの主題歌、挿入歌として軍歌が使われたり、懐メロ(懐かしのメロディ)番組などで軍歌が歌われることも多かった。
 軍歌などというと眉をひそめられる方も多いと思うが、子どもの私の心に軍歌は、戦争のつらさ、悲しさを確実に植え付けてくれた。
 特に印象的な歌を紹介してみたい。私が最も軍歌として優れていると思うのは『麦と兵隊』である。その2番
「戦友(とも)を背にして 道なき道を征けば 戦野は夜の雨 「すまぬすまぬ」を背中に聞けば 「馬鹿を言うな」とまた進む 兵の歩みの 頼もしさ」(作詞:藤田まさと 作曲:大村能章 歌唱:東海林太郎)
 芥川賞作家の火野葦平が自らの従軍体験を基にして書いた小説『麦と兵隊』が原作となっている。戦争のつらさに、歯を食いしばってただ黙々と耐えている兵士の泥に汚れてうつ向いた顔が目に浮かぶ。
 あるいは『同期の桜』(作詞:西条八十 作曲:大村能章 歌唱:伊藤久男)の3番の一節。
「仰いだ夕焼け 南の空に いまだ帰らぬ 一番機」
「貴様と俺とは同期の桜」の歌い出しが有名だが、私は忘れられかけたこの一節が好きだ。たったこれだけの描写なのに、火を噴いて、血にまみれながら海に落ちていく一番機、不安そうな顔で夕焼けを見つめながら、その帰りを待ち続けている戦友。それらの情景がまざまざと浮かんでくる。この3番は西条八十の作詞ではないが、西条八十が感心して褒めたそうである。
 このようにいい歌はいくらでもある。上から目線の勇ましいだけの歌ではなく、兵士の目線で歌われた歌が、聞く者の心に残るように思う。いい歌も悪い歌も、全部含めて貴重な資料、財産だと思う。残していってほしいと願うばかりである。

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