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エッセイ 私はどう生きるか。

 宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』がアカデミー賞を受賞したそうですね。私は見ていないし、内容も全然知らないんですが、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』に触発されたようなことを聞きました。以下の文章に出てくる『君たちはどう生きるか』は本の『君たちはどう生きるか』のことだと思ってください。
 私が初めてこの本を手に取ったのは、中学の時でした。学校の推薦図書の一冊としてリストアップされていたからです。しかし、その小説っぽくないタイトルから私はなかなか読む気が起きませんでした。『君たちはどう生きるか』。固いなあ、というより、私はそう聞かれることが苦手だったのです。中学の頃はとりあえず、あの高校に行って、高校に入ったら、あの大学を目指して、と目先の目標だけは決めていましたが、社会に出てから何をしたいかは全くの白紙でした。中学の卒業文集に、将来の夢として、「非凡なことは好まない。父に倣って自営業」と書いたことを覚えています。「人に使われるのは性に合わん」と言っていた父の影響を知らず知らずのうちに受けていたのでしょう。と言っても本当に自営業がやりたかったわけではありません。ほかに書くことがなかったからとりあえず、書いただけです。「君たちはどう生きるか、それは君たちの自由なんだよ」、と言われても私はいつも困ってしまいました。
 「君たちはどう生きるか」という言葉を口にしたとき、ふいに拓郎の『今日までそして明日から』は『君たちはどう生きるか』のアンサーソングではないかという気がしました。「私はきょうまで生きてみました・・・」。「君たちはどう生きるか」という重い問いに対して、「何も決めてないから、まあとりあえず、きょうまで生きてみたよ」、という軽い答えをした。どう生きるか決めてみたところで、他人の中で生きていくのだから、思い通りに生きられるわけではない。この先どうなるかわかったもんじゃない。だけどこれだけは言える。まず自分というものを知るところからすべては始まると。それが拓郎の答えだったんじゃないかと。(あくまで個人的見解です)
 「私はどう生きるか」。私の人生はこの答えを探し続ける旅だったような気がします。そしていまだ旅の途中です。

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