僕は中村哲さんを知らない。(世界を変える方法について)
正確には、よく知らなかった、というべきか。
アフガニスタンで凶弾に倒れた、医師の中村哲さん。1980年代から、ずっと同国への支援を続けてきたそうだ。
このニュースを見たときの僕の感想は、正直言ってかなり他人事だったと思う。
もちろん痛ましくはあったけど、「まだこんなことが起きるのか」とか、「日本政府はどんな対応をするんだろう」とか、そんな感じだった。
どれほどの人物を喪ったかというのを僕が知ることになったのは、SNSのタイムラインだ。
一緒に仕事をしている人、同じ価値観を持って活動をしている人、僅かだけど同じ時間・空間を共にした人。その人たちの哀悼の声が、先日からずっと僕の目に入ってきた。
おかげで僕は、中村さんの偉大な足跡と功績、どれだけの想いを持ってその生涯を平和のために捧げてきたのかを垣間見ることが出来た。
そんな人たちが見ているSNSに、このタイトルで書くnoteを投稿するのは正直言って大分お恥ずかしいし、勇気がいる。
でも僕は、中村哲さんを知らなかった自分を恥じる以上に、「中村哲さんのことを知っていて、こうした事態に対して声をあげずにはいられない人たちとご縁を結べていた自分」を、誇らしく思えた。
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無知は罪、という言葉がある。人道問題、国際問題、環境問題……僕らは日々知らず知らずのうちに、巡り巡ってこの世界の誰かを傷つけているんだろう。
でも、語弊を恐れずに言えば、知らないのが当たり前なのだ。興味がなくて当然なのだ。
前回のnoteで書いたSDGsだって、これだけ世界的に動いているにも関わらず、日本国内の認知度は40%未満だそうだ。
でも、「何で知らないんだ」「ありえない」「知らなきゃ恥ずかしいのに」と叫んでいるだけでは、何もはじまらないのだと思う。
そして、何かがはじまるきっかけがあるとするなら、それはいつだって(我ながら結局月並みな表現になっちゃうな、と思いつつ)人とのつながりなんだと、僕は信じている。
知らないのが当たり前、興味がなくて当たり前。
でも。
だからってそれでいいわけじゃないんだ。
*
僕に中村哲さんのことを教えてくれた、僕の人生に関わってくれた皆さん。ありがとうございます。
そして、まだ中村哲さんのことをよく知らない、僕の人生に関わってくれたみなさん。よかったら少しだけ、僕と一緒にこの方の人生に想いを馳せてみませんか。
ご冥福をお祈りします。
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