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書けなかったじゃなくて書かなかったの!

文章を書くのって楽しいことですが、たまにとっても難しくなりますよね。

先日文章を書くことが筋トレと同じで、使わなければ衰えていくという話をまとめて、早2ヶ月。

その間私は何をしていたのかというと、なんにもしていませんでした!

正直にいうと、文章を書くことをさぼっていたのです。

理由はいくらでも見つかります。

仕事が忙しかったから?元気がなかったから?
他にやりたいことがあったから?自信がなかったから?

きっとあなたにも思い当たることがあると思います。

ブログであれば、「あなたが文章が思うように書けない理由とその対策!」とかタイトルをつけて具体的な解決策を紹介するのでしょう。

しかしここはnote。すきなことを好きなように書いていい場だと思います。

私は具体的な解決策よりも、心通った同志がほしいです。

例えばあなたがいまの私のように文章が書けなかったとしましょう。

「書けない」という表現は、できるかできないかという話になっています。

なにかをできなかったというのは、そこに「やるべきこと」や「しなかった自分」という「後悔」が含まれています。

そうした自分を責めてしまうきもちが、文章を書くことを妨げていることに私はいままで気が付きませんでした。

今なら言えますが、文章は「書けなかった」のではありません。
そこには「書かなかった」という事実があるだけなのです。

そこに対して「こうすればよかったのに」とか「自分はダメなやつなんだ」と思う必要はありません。

そういうのを、「自己評価」といいます。

自分の評価をすると、今自分がやっていることが合っているか間違っているかを考えてしまい、行動のスピードが遅くなります。

私も勘違いしていたのですが、実は他人からの評価も「自己評価」に入ります。

他人からの評価の高さによって自分が感じる評価が変わるだけだからです。

自己評価が高い人は、「もういいや」となってしまい成長しませんし、逆に低すぎても「自分はダメだ」となって気力を失ってしまいます。

大切なのは、自己評価ではなく、「自己認知」です。

自己認知とは、何が良いか悪いかの判断を含まない、「事実としての自己評価」だと思っています。

文章を書くことを例にすると、「自分は文章を書けなかった」は自己評価です。
これには先ほど話したように「できなかった自分」に焦点が当てられています。
「できなかった自分」🟰「悪い自分」という評価が入っています。

では「自分は文章を”書か”なかった」はどうでしょうか。

これは、事実しか書いていません。そこにいかなる評価も入っていません。

「私は文章を書けなかった」というと落ち込んでしまいさらに書けなくなるという悪循環にはまってしまいますが、「私は文章を書かなかった」であれば、気を落とすことはありません。

私の中の怠惰なマリーアントワネットが「昨日書かなかったなら今日書けばいいじゃない」と言います。

「書けなかったんじゃない。書かなかったの!」

私と同じように悩む誰かに届くように。


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