勝手にご意見番気分のコーナー~将棋ファンはどうあるべきか!?~

将棋は娯楽であり、それを生業としている将棋界にとって将棋ファンは必須の存在である。この将棋ファンを大きく分類すると、将棋大会への参加など将棋を競技として好んでいる人(通称:指す将)と、棋士のグッズ集めやトークイベントへの参加など棋士の人間性を好んでいる人(ここでは棋士ファンと呼ぶ)、そして混合型である両方を好む人の3つに分けられる。例えば、今では言葉の市民権を得た観る将(将棋の対局を観て楽しむ将棋ファンのこと)は、割合の程度はあれども混合型に分類される。そして、これらのことは同じ将棋ファンでも各々の楽しみ方が異なることを意味している。対局している風景を見たときに指し手を見るのか、棋士を見るのかというそもそもの目線が違うのだ。

将棋に限らずファンというのは、ものに関する知識量・経験量から、ライト層(素人)とヘビー層(玄人)に分かれる。なお、よく見失いがちだが、ライト層とヘビー層の間には優劣はなく、楽しみ方の角度が異なるに過ぎない。さて、では将棋ファンにおけるこれらの層を決定する要因は何だろうか?私の考えでは、指す将であれば棋力であり、棋士ファンなら棋士に関する知識やイベントへの参加数、ファン歴だと思う。しかしながら、実情はやや異なっている。

私の論理からすると不思議なことに、現在の将棋ファンは指す将がヘビー層で棋士ファンがライト層に分類される傾向にある。このおかしさを色で例えてみよう。指す将と棋士ファンをそれぞれ赤色と青色に、ライト層は淡い色でヘビー層は濃い色とする。このとき「濃い赤色は薄い青より薄い!」と言われたら違和感があるに違いない。そもそも指す将と棋士ファンは違う色なので、どちらがヘビー層だとかライト層だとかは分けられないのだ。ましてや優劣なんぞはつけられない。

一部には将棋ファンを名乗るのに特定の棋士のことしか知らない(場合によっては勝った負けただけしか知らない)のはいかがなものか?という意見があり、確かに理解できる。ただ、私の意見としてはこういう人たちも含めて将棋界は構成されているのだと思うし、それがある意味では健全なのだと思う(ミーハーがいない世界は、世間には箸にも棒にも掛からぬ寂しい世界となるだろう)。最後に。私は将棋ファンならこうあるべきだというものは存在しないと思う。強いていうなら、楽しむべきなのだ。

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