将棋に疲れたあなたへ

「将棋辞めます!」とよくTwitterで見かける。まぁ、中には冗談半分で言う人もいるが、中にはそうでない深刻な人もいる。例えば、半年間死ぬほど頑張ったのに全然強くなれなかったとか、大会で嫌な人と出くわしたとか・・・まぁ、いろいろと事情はあるだろう。ただ、私が気になるのは強くなることに疲れたといった類の人だ。

大体、こういう人はまじめで将棋に対してちゃんと取り組んでいる人が多い。棋譜並べを何回、次の一手・詰将棋を何問、定跡を覚える・・・とか。傍から見るとまるで受験勉強の様に取り組んでいる印象。誤解のないように言うが、これを否定するつもりはない。やりたければ、やればいい。それで強くなれるのであれば、なおさら良い。だけど、本来好きだったもの、あるいは嫌いじゃなかったものを嫌いになるまでやる、というのは一体どうなんだろう?

多くの人を敵に回しそうだが、将棋とは多くの人にとってはただの趣味である。歴史はあるが、かといって別に高尚なものでもないし、言うなれば数多くあるボードゲームの1つに過ぎない。だから将棋が強くたって本来は自慢できるものではないと思っている。棋士が多くのアマチュアファンから先生と呼ばれ尊敬されるのも、将棋が偉いとか将棋が強いからというよりも、将棋という競技にここまで極め費やしてきた努力、加えて彼らの人間性に畏敬の念を抱いているのだと思うし、そう信じたい。

将棋とは本体遊びなのである。強くなるにつれて面白さが深まるのは間違いない。勝てないとつまらないのもきっと正しい。だけど、強くなることにあまりにも執着しては本末転倒だろう。理想論をいえば、楽しんで強くなることが大事。だけど、現実はそうじゃないこともわかる。

だとすれば、どうしたらよいか。簡単である。あ、いやだな・・・と思ったら対局を控える。これでいいのではないだろうか。例としては変だが、ちょこちょこ私はスマホゲームをやる。始めたての時は、まだスタミナたまらないかな?とワクワクして意味もなくスマホを開いたりしたものだが、ある時を境目にスタミナがもったいないから消費しないと・・・などいう義務感が顔を出し始める。こいつが出てくると、最終的にはめんどくさいなぁという気持ちになって、ログインもしないようになる。でも、不思議なことに、ふと急にまた始めたいなと思うことがある。

将棋もそれと似ているのではないだろうか。将棋を指せるだけで楽しかった時期が誰にでもあって、そのうち対局するのが何かと億劫になる(今の私である)。ここで対局から離れれば、また始めることもあるのではないだろうか。少なくても、将棋が嫌い!というまま離れず、自分で対局はしないけど見てるのは好きくらいの立ち位置で落ち着くのではないだろうか?

別に将棋を好きになるべきとも、嫌いになってはいけないとは言わない。それに言う資格もない。しかしながら、将棋なんて嫌いというところまで自分を追い詰めないでほしい。将棋を強くなることが義務にならないでほしい。もっといえば、指導者(あるいは棋力第一の人)はそれを押し付けないでほしい。

だって、好きなものが嫌いになりましたというのは、悲しいじゃないですか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?