勝手にご意見番気分のコーナー~綺麗な将棋と泥臭い将棋!?~

今回はこのツイート内容を取り上げる。

引用:https://twitter.com/Debugsheep/status/1570047093347356673?s=20&t=MsxETPfc4RuzHP_snVgskQ

【結論】将棋の内容の好き好きは個人の好みだと思う

それでは、以下のポイントを挙げて、それぞれに対する私見を述べる。

1.綺麗な将棋と泥臭い将棋とは?
2.勝負における最善手とは?

1.綺麗な将棋と泥臭い将棋とは?

私が綺麗な将棋と聞いて真っ先に想像するのは、概念としては、一直線に斬るか斬られるかの踏み込みが強い将棋である。歴史に残る棋士でいうと加藤一二三先生や谷川浩司先生が代表格だろうか。対する泥臭い将棋と聞くと米長邦雄先生が思い浮かび、受け将棋とは違うねじり合いや怪しい将棋?を得意とする印象。また、綺麗=短手数、泥臭い=長手数という印象の傾向もある。勝ち方でいうと、相手玉を先に詰ますのは綺麗で、相入玉で駒の点数で勝利するのは泥臭いといった感じ。おそらく一般的な感覚だと信じている。

2.勝負における最善手とは?

さて、推察するに私は上記のツイートの背景には「将棋ソフトのいう最善手以外の指し手で勝つということも醍醐味の一つだ!」という気持ちが隠れているのだと解釈している。なので、ここでAIは~とか、人間の将棋とは~とか、そういう話はしない。いつか別の機会で触れることがあるだろう。

話を戻すと、個人的には勝ち方のスタイルがたくさんある方が面白いと思っている。それが俗にいう棋風・個性につながるからだ。勝負において他人や将棋ソフトの提唱する最善手とその人にとっての最善手は、同じ勝利という目標を見ているのに違う。これはすごく面白いことだと思う。

【総括】他人のスタイルを否定してはいけない

人それぞれの価値観があるので、自分の好きな・嫌いなスタイルがあって当然だと思う。しかし、誰かが好きでスタイルを表立って否定しなくても良いのではないかと思う(よっぽど倫理的に問題でなければ)。渡辺明先生も将棋の観戦は、家でお酒を飲んで野球観戦している感じで無責任にあーだこーだという話のネタにしてほしいと語っていたと記憶している。

また、対局はもちろん、事前の研究にもドラマ性があると思う。あの人の特戦法を攻略するために秘蔵の研究を用意したとか、そういう背景知って面白いと思えれば、棋譜だけではない楽しみ方もできるのではないだろうか。

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