愛されるという勝ち方

勝負の世界というのは、とてつもなく残酷である。どれだけ頑張ったなど、そんなものは関係ない。勝つことが全てであり、勝つことが正義の世界である。例えば、商売の世界ならば一生懸命丹精込めて作った作品でも、売れなければ負けである。物書きの世界なら、頭を振り絞って出したアイディアだとしても、世に受け入れられなければ負けである。

プロの将棋の世界も同じだろう。人生の大半を将棋に費やしてきただろうプロ棋士にとって対局というのは、勝でば自分のこれまでを肯定されるようなことであり、逆に負ければ全てが否定される、そんな過酷な戦いであろうことは想像に難くない。だからこそ、そのような修羅の世界で戦うプロ棋士の先生方に対して、我々アマチュアは自分とは程遠い存在であると認識すると同時に畏敬の念を抱くのだと思う。

そう、だからこそ勝負の世界は誰でも入れる世界ではない。いや、戦い続けることは極めて困難であるといった方が正しいか。とにかく、はっきりと勝敗が分かれる世界というのは、並大抵の覚悟では踏み入れてはいけない領域であることは間違いない。

では、我々アマチュアの将棋指しはどうなんだろうか?修羅の世界で生きることができない可哀そうな存在なのだろうか?

ここは価値観が分かれそうなところではあるが、私としてはアマチュアというのは非常に幸運な立場の存在であると認識している。何せ修羅にならなくてよいのだ。そして、アマチュアにしかできない・許されない”愛される”という勝ち方ができる。決して将棋が強くなくても、また負けたとしても精一杯戦えば、自分の頑張りを認めてもらえる。これは修羅の世界では非常に難しいだろう。

アマチュアの中にも修羅にならなくてはと思い込んでいる人がいると思うが、いつかそれで押しつぶされそうになった時や良からぬことに手を染めたくなった時は思い出してほしい。我々には愛されるという勝ち方もあるのだと。

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