挑戦できるなら挑戦しよう!

2022年をこれから迎える2021年の大晦日。どれだけ聞きたい人がいるのかわからないが、話すネタもない・・・。とはいえ、何か書かなくちゃ?と思うので、しょうもない身の上の話をしようと思う。特に面白い話ではないと思うので先に断っておく。

のりたま将棋クラブを設立したきっかけ

初めに。これまでにのりたま将棋クラブを設立したきっかけを何度か話しているが、改めておさらいを。私自身、高校で右も左も分からないまま将棋部に入り、中々に楽しい経験を積んだ。個人として大きく胸を張れる結果は残せなかったと思うが、充実した三年間だったと思う。その後、進学先の大学には将棋部がなかったために「だったらネットで将棋部を作ればええやん!」とクラブ設立。これが大まかな流れである。だが、ここにはもう一つ話してない・・・というよりも、話すべきではないよなと思って言わなかった理由がある。何故今になって言うようになったかは後で話そうと思う。長くなるが、まずは自分の身の丈の話をしようと思う。

私が19の冬。友人らと映画を見た帰り、電車内にて何通もの父からの着信があったのに気付いた。最初は「どこかで家族でご飯でも食べようか?」という内容の着信かと思っていたが、それにしては件数がおかしい。嫌な予感がした。友人らとすぐに別れて折り返し電話を掛ける。母が脳卒中で倒れたらしい。当初は小さな出血だと思われていたが、それから一晩の間に容体が悪化し緊急手術。一命はとりとめたものの、運悪く脳の左側にダメージを追ってしまい右半身の麻痺と失語症を患ってしまった。体の麻痺だけならさておき、こちらの言葉が通じない・向こうが言葉を話せないというのは、かなり辛い。もちろん今でもそれは続いている。かなり元気でアクティブな母だっただけに、この出来事に私は大きなショックを受けた。それから、しばらく落ち着かない日々を送る中、自分の人生について真面目に考えた。やりたいことはあったが、それに対して本当に真剣に向き合っていたのかなと。

私が出した結論は、「いつどうなるか分からないから、せめて自分がこの世にいたことを何かの形で残したい」ということだった。これが私の私生活では研究に身を投じる最後の一押しになったし、のりたま将棋クラブの設立につながる。

さて、なぜ今になってこれを言うのか?ということであるが・・・ちょっと説明ができない。何かのきっかけはあったかもしれないが、私にもよくわからないのだ。言葉を選ばずに言うと、のりたま将棋クラブは私の極めて不純な我儘で作られたものである。一方で、誰かの心のよりどころであったり、つながりの場になってくれれば・・・という私のエゴもある。数少ない期待してくれている人には大変申し訳ないが、きれいな理念だけで創っていなかったことをどうか許してほしい。

今回の記事は、筆を執ったものの、公開するべきなのか、ずっと躊躇していた。それでも、どこかでもしかしたら私と同じような境遇の人がいるかもしれない、最後の一押しを求めている人がいるかもしれないと思い、賛否両論あると考えたものの暴露することにした。

うん。少々湿っぽくなったが、まぁ、つまりは挑戦したいなら迷わず挑戦しよう!ということである(さらに新年でいい節目ではないだろうか?)。これをきっかけに誰かが何かを失うことなく、踏み出す勇気を持ってくれればと強く願う。

あ、そうだ。これだけは最後に書いておこう。大変なことが多い人生ですが、おかげさまで私は幸せです。

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