誰のために将棋を指すんだい?

「こんな内容で・・・すみませんー。」野球でもサッカーでも何でも、プロ・アマチュア問わずよく聞くセリフ。まぁ、つまるところは、応援してくれたのに自分の不甲斐ない姿を見せてしまって申し訳ない、という意味合いが強いのだが、対戦相手にも相手にならなくてゴメンといった内容も一部含まれたりする。もちろん、将棋界でもこのセリフは存在する。

これに対する私の持論を述べる。まず前提として何でも相手があってこその競技であれば、この精神はとても良いものだと思う(特にプロ)。ただ、プロならともかく、アマチュアがこのような重圧を必要以上に負うのはどうなのかなぁとも同時に感じている。応援している方としては、一生懸命頑張ってくれ!とは思うだろうけど、絶対に俺のために勝て!とは思っていないだろうし・・・競馬とかならともかくね。また、もっとも悲惨なのがその重圧に押しつぶされること。例えば相手に申し訳ないから大会に出ないとか、対局しないという感じ。当然、方便としてこれらの文言を使っているケースもあるかもしれない(行けたら行くといった断り文句みたいに)が、もしも本気でそう思っている人がいるとしたら、私はこう声をかけたい。

誰のために将棋を指すんだい?

実際にあった具体的な一例。とある将棋サークルにて「自分は弱すぎて、相手のためにならないから対局しない。」という会話に出くわしたことがある。なるほど、言葉を発した人の気持ちは分かる。私の経験上でいうと、あまりにも棋力差が離れていると、相手はともかく自分は場違いなんじゃないかと思ってしまうものだ。こう、みんなは共通の世界観・価値観で話せているのに、自分だけ違うところに取り残されているような・・・そんな感じ。

※余談だが私の経験上、将棋道場とかそいういうサークルに入って他人の目を気にせず馴染みたい(引け目を感じたくない)と思うなら、初段くらいはあった方がいいんじゃない?と私は考えている。

けど、級位者同士で何かとやるよりも、ちょっと強い人が身近にいた方が棋力の向上という点では良い環境である。で、問題はここ。自分よりも強い人と対局できる、かつ自分はしたい場合、気軽に引け目を感じることなく対局できるか?という点である。ここで、先ほどから言及している「私なんかの相手をさせてしまって申し訳ない。」の原理が働くのである。まったく、余計なおせっかいである。うん、マジで。

現実的なことをいう。もしも、相手が強くなりたくて少しの時間も惜しい!という人間であれば、きっと研究会とか将棋のスキル上達だけを考えた環境にいる。だが、おそらくそんな場にはあなたはいないだろう。つまり、あなたがいるこの場は、棋力向上絶対主義の場所ではないということだ。もっと、コミュニケーションだとか、級位者に強くなってほしいとか・・・。当然、棋力の向上もあるが、それ以外にもこのような目的が含まれているはずだ(場合によっては棋力向上以上に重視したり)。だから、「私なんかの相手をさせてしまって・・・」というのは、大体のケースにおいてお門違いなのである。

また、世の中には人に背中を押されて初めて動けるタイプの人間もいる(私のようなタイプ)。こういうシャイ?な人間は、言われるがままに運営に対局を組まれてもだいたい断りはしない。だけど「あぁ・・・ちょっと手違いだなぁ」と対局中・感想戦中に感じることがままある。でも、こんなときは気にしないで「このような手合いにした運営が悪い!」の精神で乗り切っていただければと思う(全国の運営さん、勝手に言ってすみません)。

繰り返すが、相手のことを考え、思いやることは非常に良いことである。しかし、往々にして人の気持ちがわからない以上、それが空回りすることだってある。だからこそ、交流したい・対局してみたいと思っているなら、そのチャンスをつかんで欲しい。

最後にその勇気いる一歩を踏み出す手助けとしてこの言葉で記事を締めくくろうと思う。

誰のために将棋を指すんだい?


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