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「子供は小さな大人ではない」と新たに思う

大人と子供を大人と小人と表現したり、子供を小児と表現をすることがあります。
これだけでは大きな人間と小さな人間という、身体の大きさだけで区別されているに過ぎません。

逆に大人は成人と表現されます。
それを用いて子供を未成年と表現し、その成人である大人と区別する場合、「成人と未成年」という言葉で表現されますが、その時に子供=小人=小児は未成年である、つまり成人には未だ達していない人間であるという人間的未発達さの表し方はより明確になる気がします。

子供は未成年であり未だ人に成っていない、ということを最近の世の中は忘れがちです。

小学2-3年生にもなればゲームやスマホを大人を制するほどに上達している姿を見るでしょう。
また言葉も達者で親を打ち負かすような反論もできる。
そういう姿を見て、子供が出過ぎてるように思わない大人は減っており、むしろ大人の上に立ち言い返す成長を微笑ましく可愛らしく思う大人が増えています。

そういう大人顔負けの、という子供も多いですが、
実はまだまだ心身ともに未発達の段階であるのです。

これについては子供の将来的な社会適応への成長を考えると、自由過ぎる発言を咎められることなく温かく微笑まれたり、必要以上に褒められ過ぎている環境は、今後の影響を考えるとそれはそれで少々問題となっているように感じます。

話を元に戻します。

子供は見た目は小さい大人ですが、脳や心や骨や歯、成長ホルモン、そういう外から見えない内部で行われている構造は、大人と全く違います。

初めて「子供は小さな大人ではない」という言葉を聞いたのは大学での小児科か小児歯科の授業の時だったと思います。
その時はピンときませんでした。
しかし最近何十年も経ち、じわじわとその言葉の大切さが響いています。

子供は大人へ成長していく過程のまだ途中なのです。
特に身体内部の中でもレントゲン撮影で見分けやすい歯や骨は、仕事で頻繁に見ている方々の場合、その成長へのステップが日々休まず行われていることに気付きやすいでしょう。

"大人の階段のぼる…"という歌詞の歌が流行りましたが、階段をきちんと登り大人になっていくから安心で微笑ましく眺めていれるわけですが、
最近の子供達はそういう自動的に階段を登り成長し無事大人になるような成長を、数々のものに妨げられています。
今の大人達が子供の頃には無かったためにそれに気づいていない。しかしながら、子供達は昨今そういう環境に何度も直面しています。

特にこのコロナ禍の中の子供の成長は今までよりも成長を困難にする環境が多いです。
その上さらに、未知のまだいろいろなことが解決されていないと見えるワクチン接種の動きも出ています。

未成年である子供達の身体の中では、様々な発育や発達が行われています。
大人はそれがすでに止まってしまっているから成人と呼ぶのです。

自らは歯科医師なので子供達の歯や顎の骨の成長に限局して話しますが、顎の骨の中には歯の卵がたくさん眠っています。

それが15-18歳まで時間をかけ、親知らずと呼ばれる歯以外の食事に必要な全ての歯の卵、約28個分が、顎の骨から出てくる仕組みになっています。

けれども最近では歯の卵が顎の骨の中から自動的に出てこないことも多く生じています。

それはコロナ禍以前から見られ始めていた傾向ですが、コロナ禍の環境はそれを好転させる環境どころか、遅滞させる、または悪影響を及ぼす、と言わざるを得ない環境です。

子供は小さな大人ではありません。その体内の細胞を日々、繰り返し繰り返し成長発育させ続けています。

通常、身長や体重・年齢などから薬の投与量を検討しますが、新しいワクチンの研究結果はどうなのでしょうか…。
数年間それらを継続調査した結果はまだ出ていないのでないでしょうか。

今、子供達にワクチン接種での予防は必要なことでしょうか。

感染症の三大予防は、

感染源の隔離
感染経路の遮断
宿主の感受性を低くする=免疫力を高くする

です。

これらで今の感染症は予防できている状況ではないでしょうか。

すでに長年使用され安全性が確立している処方薬が新型コロナウィルスへの使用認可がされる日が来れば心強いことです。
迅速かつ積極的にコロナ禍への安全安心のために対処していくと言うのならばこちらを期待したい。

それでもやはり「小さな大人」の感覚で迅速にワクチン接種が行われていくのでしょうか。

合理や流れとはいえどうなのでしょうか。


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