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心に差す傘がほしかった

私は祖父母に育てられました。
3歳くらいからかな…
父が脱サラをし、住宅設備の会社を立ち上げた頃に私が生まれました。
会社と言っても、夫婦二人で切り盛りする小さな商店からスタートです。

商売なんてやったことのない母がお店のほとんどの切り盛りを一人でやっているカタチ。
父は夜な夜な営業という名目でほとんど家に帰ってこない人。

母のプレッシャーは相当なものだったんだろうなと今では理解できますが、
幼い頃の私は「甘える、頼る」を相当我慢していたのでしょう…

転機は小学校の高学年。
祖母が脳梗塞で倒れ、祖父だけでは私の面倒も看れないだろうと、
父母のところに…実家に帰ることに。

祖父母には甘えられていたのに、父母にはどうやって接していいのか…
甘えていいのかがわかりませんでした。

親戚のおじさん、おばさんの家にお邪魔している感じ。
よく「借りてきたネコ」と言われていました。
それくらい大人しい子供。

私はバスで小学校に通っていました。
帰りは家が近いミキちゃんと一緒にバスに乗って帰ります。
彼女は運動神経も頭も、そしてとても可愛い人。
お話も面白くて、帰りのバスの時間は私にとって嬉しい時間。

そんなある日…学校から水戸駅のバス停に行く途中で雨が降り出しました。

学校に置き傘はあったものの、戻るにはちょっと遠い…
ミキちゃんはその時
「あ!お迎えに来てもらおう!」
そう言って、近くにあった公衆電話からお母さんに電話。
「ミキ、お母さんが迎えにきてもらうんだけど…ノリちゃんどうするの?」

この時の私に親に何かをお願いするという選択肢はなかったのです。
でも、心ではたくさん甘えたかったし、無理も言ってみたかったんだと思います。
そして、ミキちゃんに『私だって愛されてるもん!』を言いたかった。

私は電話もできないまま、ミキちゃんのお母さんが来るまで一緒に待つことに。
しばらくすると、ミキちゃんのお母さんが来ました。
「ノリちゃん、家近いんだから一緒に乗っていってよ!」

すぐにでも「はい!」と言えればよかったのかもしれません。
だけどできなかった…
「大丈夫です。今から電話してお迎えにきてもらいますから」
とても可愛くない、とても大人びた子供だったと思います。

「わかった…じゃね!」とミキちゃんとお母さんが仲良く一つの傘に
入って帰っていく姿を今でも思い出します。

”さぁ…どうしよっか”
何台、私が乗る赤い色のバスを見送っただろう…
私は思い切って、頑張って、公衆電話からお迎えを頼むことをしました。

「はい、サンワです。」
電話に出たのはお店の新しい事務員さんだった…
「あの…ノリコです。お母さんいますか?」

電話口に出た母は
「忙しいのよ…ちょっとお迎えには行けないから、タカシに傘を持って行かせるよ。あんた今どこなの?」

あ…やっぱり電話なんかしなきゃよかった。
だよね、お母さん…忙しいよね。
困らせたらいけないんだよね。

迎えに来てもらえないかわいそうな子ではなく、
お母さんを困らせた悪い子供だと
自分を責めた瞬間でした。

「今、水戸駅のバス停にいるよ。ありがとう」

いろんな後悔を並べながら兄を待っていると
とても怖い顔で兄が黄色い傘をもって私のところにやってきました。

「あのな!こんな雨くらいで人のこと呼び出すな!
お兄ちゃん、今から駅ビル行ってくるから気を付けて帰れよ」

兄とは6歳離れていますが、そう言ったわけで…私は実家に住み始めてから
間もないので、当然…兄妹との関わり方も知りませんでした。

怖かった。私はいろんな人に迷惑をかけながら

生きていることを恐怖に思った…

この頃から人に何かお願いをすること=迷惑に思われる

こんな図式が出来上がっていたのかもしれません。

甘えられることは嬉しいはずなのに、自分は甘えてはいけないと思いながら生きてきたのです。でも…今日そこに気付いてあげられたことで、癒されていくような気がします。

この頃の私は心にたくさん雨が降っていて、時々曇り…でもまた雨が降る。

心に差す傘が必要だったのかもです。あの時の私に今日のnoteが届きますように☆

たくさんの愛をこめて

Share the love♡Nori




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