はじめまして

はじめまして。
「のりバスケ」と申します。
初めてnoteに投稿するのでちょっと緊張していて何を書けばいいのかわからないのですが、最初ということで僕の自己紹介からしていきたいと思います。

のりバスケとは何者か!?

ここではのりバスケと名乗らせていただきます。
関東に住んでいる30代の男性です。
仕事は会社員をしており、サービス業のため平日休みが基本となります。
趣味はBリーグの観戦で主に宇都宮BREXという栃木県宇都宮市に拠点を置くプロチームを応援しています。
その他にもガジェットが大好きなのでPC周辺機器やiPhoneなどの周辺機器を買い漁ることも好きです!
iPhone、MacBook Pro、iPad Pro、AppleWatchを所有しているので周りからはアップル信者と言われますが、単純にシンプルな物が好きなのといいものを長く使いたいという考えなので多少高くても自分の好きなものや使いやすいものを選んで購入しています。

「のりバスケ」の由来

由来と言っていいのかわかりませんが(早速迷走中…)なんとなくお伝えしておきます。
"のり"は昔からのあだ名から取りました。
”06”は僕の大好きな宇都宮ブレックスの田臥選手の背番号【0番】と同じく宇都宮ブレックスのエース比江島選手の背番号【6番】を合わせたものです。
ぶっちゃけると適当につけました。

のりバスケの生い立ち

いきなり僕の生い立ちなんか知りたくもないと思いますが、ここで書いていくものにも繋がる話なのでちょっとだけ触れさせてください。
父の仕事の都合で母の生まれ故郷に小学1年生の秋に引っ越しました。
母のお兄さん、僕から見ると叔父さんなのですが地元のミニバスのコーチをしていました。
僕も誘われイヤイヤ練習に参加する羽目になりそのまま僕の同意なく強制的にミニバスをやらされることに…
スポ少に加入していない単なる地元のおじさんたちがボランティアで子どもにバスケを教えるという形だったのにやたらと厳しくイヤイヤ行き始めた僕にとっては苦痛以外の何者でもなく、幾度となく辞めたいと親に伝えましたが、絶対に辞めさせてくれませんでした。
ミニバスを通して友達もできましたがイヤイヤやっていたこともあり大して上手くもならずそのまま中学生に。
中学の部活でも特にやりたいこともなかったのですが、ミニバスからの先輩の勧誘や友達からの勧誘を断りきれず結局バスケ部に入部。
3年間鳴かず飛ばずやる気のない部員として過ごし、高校生に。
高校でもやはりやりたいこともなく、帰宅部になりたかったのですが、やはり先輩の勧誘が…
『見学だけ…』と思って行った先で強面の先輩集団に『中学でバスケやってたんでしょ?うちのバスケ部ゆるいから入りなよ!』と言われ、気の弱い僕には断れませんでした…
中学の時の先輩は笑って見てるだけだし、声をかけてきた先輩は中学時代地元でも有名なヤンキーだし、入るだけ入って先輩たちが卒業したら辞めちゃえばいいかと思っていましたが、入ってみたら練習はそこそこ厳しいですが、先輩たちはめちゃくちゃ優しくて下手くそな自分にも良くしてくれて本当にいい先輩たちでした。
なんだかんだで1年で辞めようと思っていた僕が2つ上の先輩たちが卒業後もバスケ部に居続けていました。
1つ上の先輩たちは3人しかおらず、試合をするとなると必然的に自分達の代も試合に出なければならない環境となり小学生の時からのらりくらりとやってきた自分にも『仲良くしてくれた先輩たちに迷惑をかけたくない』という感情が出てきて毎日練習&自主練をするようなりました。
そんな時、1つ上の先輩3人のうち2人が悪いことをして退学に…
一人取り残される先輩もやりにくくなって辞めてしまうかもしれないと頭によぎりましたがその先輩は残り続け毎日欠かさず練習をし続けました。
年上だけど友達のように接してくれていた先輩にどんな形でもいいから最後の試合は勝ってもらいたいと思い必死に僕も練習を続けましたが、先輩の最後の試合は1回戦敗退。
バスケをしていて初めて悔しい気持ちを味わいました。
この時の僕の努力を周りの友達や先生も見ていてくれ、先輩が引退後、僕がキャプテンに任命されるというまさかの出来事が!
個人的には一大事です!
任されたのなら頑張ろうと思い。
より一層責任感を持って練習に取り組みチームもいい雰囲気の中練習ができていた3年の春、練習試合で思わぬ出来事が起きました。
相手のパスをカットしてレイアップシュートへ行った瞬間でした。
相手選手がブロックするために僕に接触、相手も僕も不運なことに体勢を崩し危険な着地となったのですが、おかしなことに相手は立ち上がれるのに僕は足に激痛が走り立ち上がることができませんでした。
すぐに救急車で病院に運ばれると診断結果は骨折。
人生初めての骨折でした。
しかし、ただの骨折ではなかったようで、一昔前だと切断をするくらいの大きな骨折だと本当か嘘かわからないですが病院の先生に言われるほどのものでした。
この怪我をしたことで僕の高校最後の年は1試合も試合に出ることはできませんでした。
この怪我は自分が思っていたよりも辛いものとなり、2年間リハビリを行いましたが後遺症が残ってしまいました。
大学に進学後はバスケはやらないと思っていたのですが、親友の勧誘で遊び程度ですが週1でリハビリを兼ねてバスケをやっていました。
なんだかんだでバスケが好きになっている自分がいることに気がついてひょんなことからミニバスのコーチをすることになり、技術や戦術も教えましたが自分の境遇や怪我を通して感じたことを5年間伝え続けました。
ミニバスで出会った選手たちはどの選手も素直で努力家で、『小学生の頃の自分はなんてスカしたガキだったんだ』と思い知らされました。
仕事の都合でミニバスのコーチも辞めてしまい気づいたら人生の半分以上をバスケと共に過ごしており、いきなり自分の生活の中に『バスケ』が無くなった違和感を覚えていた頃、親友にBリーグの観戦に誘われました。
高校時代、田臥選手が日本人で初めてNBAのコートに立ったというニュースを見てからというもの田臥選手の動画を見て一瞬で虜に。
一度は生で田臥選手を見たいと思っていた僕が親友と初めて当時の栃木BREXを見に行きました。
生の田臥選手はプレーもキレがあり、シュートは勿論、味方へのパスもトリッキーなパスを出したりと生でプロの試合を見ることは何度かありましたがこんなに魅了される選手は見たことがなく感動しました。
高校の時の僕のスパースター田臥勇太を目の前にしたことによりすぐにバスケットライブに加入。
それ以来、BREXの試合は欠かさず見るようになり頻繁には行けませんが栃木まで試合観戦にもいくようになりました。

長々と僕の生い立ちを語ってしまいましたが、次は何を書いていくのかをお話ししていきましょう。


ここでは何を書いていくのか。

僕の生い立ちを見ていただければわかると思いますが、そう、『バスケ』についてです。
ほとんどこの話題になると思います。
特に僕が箱推ししている宇都宮BREXの試合についてを書いていきたいと思います。
その他にもバスケットライブで見た試合などを書いていければと思っています。
どんなことを書くのかと言いますと。
特別なことは書けません。と正直にお伝えしておきます。
なんと言いますか感想文に近いかと思います。
『こうしたらいいのに』とか『あのプレーは良かった』みたいなことぐらいしか僕には書くことができません。
並外れた分析力やプロ並みの戦術理解があるわけでないので…
でもたま〜に行くブレアリの迫力や印象的なプレーはお伝えできればと思っています。
あ、ちなみに栃木県民ではないのでブレアリに行けるのは数年に1回程度なのですがね…
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、『norisukeのnoteは見る価値ないな』と思ったらそれでもいいです。
ほぼ自己満のためのものとなってしまいますが、僕なりの思った事を書いていき、『BREXってどんな選手がいるの?』『Bリーグ面白そうじゃん』って思ってもらえる小さなきっかけを作れれば最高かなと思っていますのでよろしくお願いします。

次回は僕の大好きな宇都宮BREXについて勝手に紹介していこうと思います。

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