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TANREN -2024年6月7日の日記


discordの個人サーバーに書いた日記を転載。
サムネは特に関係のないピカチュウの模写。


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□6月7日
文章を書くということのハードルをもっと下げてもいいのかもしれない。
なんか、他の人がどうかは知らないけど、私は文章を書くときにやたらと体裁を気にして綺麗に整えようとしてしまうきらいがある。今もそんな感じだけど。

今も、体裁って使い方合ってるよな…?とか思って一応意味を調べたりしちゃったし。「今も」って二回連続で使っちゃったのを気にしちゃったし。

こういうのをもっと気にせずに、頭から、というか心から直接出る言葉を打ち込んでもいいんだよな。頭というよりは心から。

文章書いてるときに、ここはいらないかな?とか、これ以上長くなると読みにくいなとか。記事を執筆するときに1万文字超えるのはやだなとか、思いながら書いてる。

確かに、記事っていうのはこんな閉じた場所で一人で書いてる日記と違って人に見せることを前提に書くものだから綺麗に整えて読みやすいようにするのは当然っちゃ当然なんだけど。
↑読点無さすぎ。でもいいんだ閉じた場所だから。

だからって、整えたものだけが表にあるという状態はそれはそれで気持ち悪いというか、つまんない気がするんだよな。
粗削りで心から直接出力されたみたいな文章にしかない面白さとか魅力がある。し、昨今世間はそういうのを求めているような気がする。

数十秒しかない猫の無編集の動画に「こういう金の匂いがしない猫動画が一番いい」みたいなコメントが付くことからもわかるとおり、世間はいま撮って出しの、あざとさのない、現実そのままの味を求めている。もはやそれが良いとされだしてからも暫らくが経ち、あえてそういった雰囲気のものを”作る”というやり方も飽きられつつあるかもしれない。

流れが速い。もう誰も猫ミームの話をしてない。惣菜ドラゴンの話も。
ミームの命は長くて3ヵ月、速くて3日だ。クッパ姫は3日だった。
日清が流行した曲をCMに取り入れる頃にはもうそれは「懐かしいね」と言われるものだ。

話が逸れたが、私はもっと撮って出しみたいな文章を書いてもいいかもと思ったってことだ。文章が長くなったり、読点が適切で無かったり、わかりにくくても気にせずに書くときがあってもいい。誰も読まねえよってくらい長くてつまんねえ文章でも、この広いインターネット上に存在させてみたい。私の記事として。テロかもしれない。非常に小規模で誰にも何の迷惑もかからないが、確かにひとりの人間の思想の爆発。

そうは言っても生まれて此のかた品行方正。
いや、学校サボりまくったり家族に嘘ついてバイトバックれたり暫らく働かなかったり適当な仕事して怒られが発生したりとかは全然あったけど。
それでも私の魂は美しいよ。清く正しく美しく生きようと決めてるんだよ。正しさって一個じゃないだろ。

そんな清く正しく美しい私に、思想の爆発なんて大それたもんは書けない。
無茶苦茶な展開で読む者を抱腹絶倒させるストーリーだって書けない。

そういうことが出来る人に本気で嫉妬する。
これまでいい子で生きてきた私の人生を悔いている。なまじ良識がある。

女はつまらない、という話をこの2週間で3回くらい聞いた。
男尊女卑みたいな話はもうTwitterで散々見たしどうでもいい。

でもやっぱ、悔しいんだよな。
自分のつまらなさを自分で分かってるからより悔しいというか。
いや、私は全然「女はつまらない」とか思ってないけどね、面白い女は全然居るよ。

面白さも鍛錬なんだろうな。
実力のある芸人って大抵、めちゃくちゃお笑いを勉強してる。
鍛錬だ。

私もこれから鍛錬をする。
心の内に沸いて、文章になるよりも前に無意識に推敲されていく思考をできるだけ掬い上げて可視化してみる。
それで、私の良識が隠している爆発物のリミッター(タガともいう)をちょっとずつ外していける気がする。

かなりハズい。爆発物とか、リミッターとか言ってるよこいつ。
こういう茶化しをしちゃうのもハズいかも。自意識よ。

もっと頭のいい人とか、年上の人から見たら「まだそこ?」みたいな感じかもな。言葉尻に”気がする”を使いすぎとかも今ちょっと考えちゃった。先は長い。

練習のあとなんて残したくない、完璧な結果だけが残ればいい。
みたいなことをなんか、緋田美琴さんも言ってたよな。わかる。凄いわかる。

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