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その歴史の通過点に私も、あなたも居るんだよね。 -2024年7月26日の日記

□7月26日
世界的に大きな事件や災害が起こると、その事実に対して胸を痛めると共に、私もこの歴史という大きな流れの中のひとつなのだと実感し不思議な気持ちになる。

 ”歴史” という言葉には、昔のことという意味が内包されている。学校教育で学ぶ ”歴史” は大部分が私が生まれる前の出来事で、私が生きている ”いま” には何も無い。何も無いと思っていた、子供の頃は。幼心には世間で起こっていることが全て遠くて、意味もよく分からなくて、それは何も起こっていないことと同じだったためだ。

だから、私たちのいまは ”歴史” が全て終わったあとの世界だと感じていた。だがもちろん現実はそんなわけが無く、戦争は起こるし、テロも起こるし、大統領も決まるし、災害もある。全て歴史だ。この先、全てが過去になる。つい先日の出来事がいつか教科書に載る。

近頃、私の中でそういう感覚がなんか強い。

いま起こっていることがいずれ過去になるのなら、私はいま過去に居ることと同じだ。そのことに、言い知れぬ浮遊感がある。未来から過去を見ているような非現実を不意に感じる。ショッピングモールで明度の高い照明を浴びながら、駅前で直射日光を浴びながら、蛍光灯の下で水道水を汲みながら。現在の自分を究極的に客観視しているような白昼夢に襲われる。


そのことと関係があるか無いか微妙だが、先日、80年代から飛び出してきたかのようなハイティーンたちをゲームセンターで見かけた。

肩まで伸びる茶髪、リストバンド、オーバーサイズTシャツ、カーゴパンツ、シャツのタックイン、チェーンの付いたデニムパンツ、ゴテゴテしたスニーカーなどなど……。

それは、よく80年代の青春映画で見るような若者のファッションそのものだった。感動した。私がずっと行きたかった時代だ。もしかして私80年代にぶっ飛ばされたんか?と錯覚すら覚えた。

ちょっと前までy2kが流行っていたが、もう今はそれを通り越して80年代~90年代のファッションも流行しているようだ。それと共に、平成コアと呼ばれる00年代風なファッションも再注目され始めているようで、ファッションはどんどん多様化していっている気配がある。

街中で見かけるものが ”懐かし” で溢れていることも、私の現在位置を混乱させる原因になっていると思う。ずっと過去に居るような気がしてしまう。そしてそれは心地良いのだ。オトナ帝国の野原ひろしもこんな気持ちだったんだろうな。生きるということは、懐かしいものが増えていくということでもある。過去に生きるか未来に向かうか、多くの大人が過去を選ぶのは致し方ないことだ。ひろし、偉すぎる。

まあ80年代は私にとっては未知の時代なので、80年代風のものを見たときの心地よさと言うのは懐かしさではなく憧れだと思う。その頃の洋画が好きだから、映画で見たやつだ!という喜びだ。

あ~行ってみたいな80年代。
とか言いつつ、いつか2020年代も懐かしのあの頃になるんだ。戻りたいなとか思うんだ。30年後の若者が、「行ってみたいな20年代」とか言うんだ。

その歴史の通過点に私も、あなたも居るんだよね。


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