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肩の荷はもう古い!今は下ろす時代 -2024年9月6日の日記

□9月6日
前回の日記で行動力が無さすぎることを反省していた私だが、なんとか動画を作って投稿した!しかも2本!

大きな進歩だ。再生数は、まあ、今に4、5桁になるだろう。

初めてショート動画を作って投稿してみたんだけど、そっちはもう一晩で1300以上再生されていた。ショート動画って結構見てもらえるんだな。


コメントが付いたり登録者が増えたりすること、やっぱり楽しい。
数年前に別のチャンネルを運営していたときは寄せられるコメントにすぐ怯んでいたが、今は捉え方が変わった。何かアクションを起こされたときの人間の反応というのは興味深いと考えるようになった。

コメントを書き込んだ人の心の動きを想像する。普段何を見て、どう考えてどう生きているのか。その動画のどこに注目したかによって、その人が何を大事にしているかがなんとなくわかる。

それに、私自身が私をしっかりと容認できるようになったということも関係している。

私が問題無いと判断したものに関しては堂々としていればいい。もし何か問題があったら、その時は毅然と対処すればいい。言ってみれば普通のことだが、人は間違いを犯すことを恐れるので、自分が間違っているのではないかという不安は付き纏いがちである。だがそこで、私は「善い人間とは何か」と考える。私の思う「善い人間」とは、人に親切にし、己を大切にし、素直で、間違いを認めて正せる人のことだ。そういう人間であろうとしている限り、人は潔白で居られるのだと思う。私が私を、信じられるようになった。人の評価に怯えなくなったのはそのためである。

凄い、大人になってるかも。なんかしっかりしてるかも。全然いろいろサボるし、働いてるか働いてないかで言えば働いてない寄りだけど。でも心意気は立派なんじゃない?大人だよアンタ!急に大人になったよ!

noteに日記を書き始めてから、考えを言語化することによって思考が明快になっていき、精神が急速度で変化しているのを感じる。

以前「大人になりたくない」と書いたが、今はもうそこまで思わない。大人になるということは、肩の荷をどんどん下ろしていくということなのかもしれない。人間関係の悩み、容姿の悩み、学歴や社会的地位に関する悩み、己の性格や性質についての悩み。そういうものがどんどん無くなっていって、視野が広がっていく。足取りが軽くなる。無意味な常識や慣習から決別して、自由に生きていけるようになる。

気分が良い。良い気分や悪い気分が単なるホルモンの分泌量なのも面白い。精神はどこにあるのか、心とはなんなのか、最近はそういうことばかり考えている。


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