20年間使い続けたバッグを買い替えた日。monologue28
唐突ですが冒頭から皆さんに質問です。
”人生の節目に何か特別なことを行いますか?”
”どんなバッグとと共にしてきましたか?”
おはようございます。クリエイターのりしろ太郎です。
本題に行く前に少しばかり話が長くなりそうですが、
私の昔話を語らせてもらってよろしいですか?
上京してクリエイターになります
2001年に私は当時勤めていた会社を「上京してクリエイターになります」といった若気の至り的な理由で辞めることにしました。
「俺、ビッグになるから東京へ行って一旗揚げます」みたいなノリでしたね。当時の私は今以上に馬鹿でしたので、何の根拠もない自信で満ち溢れて、成功することしか想像できていませんでした。
営業職だった私は、お世話になっていた取引先へ挨拶回りをしました。お客さんの中で、不動産や飲食店など経営されている会社さんがあり、社長さんへご挨拶に行くと
「東京へ行くと言っても、お前は金はあるんか?」
「金がないんなら、しばらく手伝え」とそう強引とも思えるほど勢いよく手伝うことになるのでした。
一見すると堅気の人!?な風貌で、禿頭の強面の社長さん。言葉は乱暴だけど根は優しい…。実際に退職時の私は貯金も退職金も何もなく、最後に会社から振り込まれた給料1ヶ月しか持ち合わせていない私にとっては、ありがたいお言葉でした。東京で暮らしていくお金なんて当然ありませんでしたからね。そんなこんなで「東京へ行く」ことはお預けとなりました。
ライブハウスで働く
ちょうど私が退職のご挨拶に伺った時に、ライブハウスのオープンが決まっていました。開店資金が限られた予算だったため、スタッフが店内のペンキを塗ったり、大工仕事をして内装や外観を仕上げていました。
私の手伝いとは、その開店準備と開店後のアルバイトとしてでした。その後、ライブハウスはオープンし、平日のライブのない日は、ビールサーバーでビールを注いだり、カクテルをつくったり。週末はバンドやDJなどのライブイベントを行い、充実した日々を送るのでした。勤務時間は夜からお客さんが来なくなるまでという曖昧なものでした。日中の勤務時間以外で私はクリエイターとして創作に時間を割いていました。それから、東京に住まいないまま2年の月日が流れました。
二足の草鞋のままで良いのか?
2003年初夏の頃。
ライブハウスでアルバイトとして働きながらクリエイターとして活動するものの、アルバイトの収入に頼ってしまい、クリエイターとして満足に稼げていませんでした。どうしてもバイト代をあてにしてしまうのです。これでは本気でクリエイターとして勝負できていない。そんな保険をかけた二足の草鞋では、いつになっても成功しない。そう考えた私は、クリエイターとして収入の当てもないままに、ライブハウスを辞めることにしたのです。
フリーランスのクリエイターとして
新たな挑戦!
2003年夏の終わり。
私はライブハウスを辞めて、クリエイター一本で食べていくことにしました。通帳に残った泣けなしの残高10万円のお金を握りしめて個人事業主、いわゆるフリーランスのクリエイターとしての新たな挑戦が始まりました。その10万円で白いペンキとパントンチェア2脚を購入して、残ったお金は微々たるもの。資金繰りは日の車。自転車操業で苦しくも楽しい日々の始まりでした。
2003年12月。
私はバッグを購入したのです。それまで使っていたバッグは小さな革製のトランクケースでした。とても可愛かったのですが、A4のノートが入るような大きさではなく、このバッグでは営業は回れない。そう考えてきちんとしたビジネス用のバッグを購入することにしたのです。
お待たせしました。ようやくバッグの話となります。
ミリタリーテイストな吉田カバンのバッグ
「LUGGAGE LABEL」との出会い
当時バッグといえば、若者に人気ブランドだった吉田カバンのPORTER抜きでは語れません。おしゃれな方達は必ず持っているような人気ブランドでした。
PORTERといえば、アメリカ空軍のフライトジャケットMA-1をモチーフにしたナイロン製の「TANKER」というバッグが中でも人気がありました。フライトジャケットMA-1自体が絶大な人気を集めていました。外側はミリタリーグリーン、内側は目の覚めるようなオレンジのカラーが特徴的。この時代の若者はワードローブに1着は必ずと言って良いほどの人気ぶりでしたね。軍から払い下げなのか、基地からの放出品なのか、私は流通経路まで知りませんが、この時代のアパレルといえば、ミリタリー関係のものが多く見られ、戦場に出ることなどない私もたくさん買っていました。
前置きが長くなりましたが、ビジネス用のバッグを買いに行ったお店が、吉田カバンのPORTERを取り扱う金沢のお店「COOL CAT」さんでした。
金沢市竪町 COOL CAT
今から遡ること約20年前の2003年12月の金沢市竪町。通称「竪町ストリート」にある「COOL CAT」さんにお伺いし、私はミリタリーテイストがプンプン漂う、いかにも丈夫でしっかりとした造りのバッグを買うことにしました。「LUGGAGE LABEL」というブランドラインで展開しているバッグでした。
LUGGAGE LABELのビジネスバッグ
ビジネスバッグというとお堅い真面目なものばかりだった中で、吉田カバンのバッグは、ミリタリーテイストで、フォーマルでもカジュアルなファッションでも合わせられて、心底気にいりました。デザイン性だけでなく、バッグの造りは、さすが吉田カバンと言ったところで、丁寧に作られており、信じられないくらいの丈夫さです。このバッグを片手に私はクリエイターとして20年間奔走するのでした。
20年と6ヶ月、共にしてきた戦友
このミリタリーなバッグとともに、2003年12月から今日2024年5月31日までの20年と6ヶ月を共にしてきた戦友です。苦楽を共にして、喜びも悲しみを分かち合ってきました。
20年6ヶ月という歳月は…
20年×365日=7300日
6ヶ月×30日=180日
7300日+180日=7480日
もちろん仕事していない休日もありますが、7480日もの長い時を共にしてきたことになります。晴れの日も雨の日も、雪の日も。
戦友との別れ
新たな挑戦のはじまり
2024年5月31日。
私はあらたにビジネスバッグを買うべくCOOL CATさんに来ています。造りが良いので、まだバッグとしては使えますが、20年と6ヶ月、共にしてきた戦友は至る所が綻びています。
お店に来ている翌日となる2024年6月1日。私の新たな挑戦となる日なのです。詳しくは記事の最後でお話しさせていただきますね。そんな大袈裟な話でもないと思いますが、何か私にとってこの明日6月1日を人生の節目と感じているのです。
皆さんは、人生の節目に何か特別なことを行いますか?
冒頭の質問に繋がります。皆さんにとっては、特別というほど特別なことではないかもしれないけど、私は20年と6ヶ月連れ添った戦友に休んでもらうために、COOL CATさんに来たというわけです。新たなバッグを買うという私にとって特別な意味のあるイベントを行うために。
新たなバッグとの出会い
店内奥に置かれたカジュアルな要素も残しつつフォーマルでも使えるビジネスバッグに目が止まった。ミリタリーグリーンではなくブラックカラーの落ち着いた色合い。あまりにも20年間連れ添ったバッグが体の一部のように馴染んでいて、他のバッグではしっくりことないと思っていた。しかしながら、吉田カバンのバッグは違和感がなく私に馴染んでくれた。これにしよう、あまり迷うことなく購入を決めた。新しいバッグと出会いとなった。
2024年5月31日が、20年間使い続けたバッグを買い替えた日となりました。
2024年6月1日。私の新たなる挑戦
アーツカウンシル金沢 ディレクター就任
私にとって特別な日となる2024年6月1日。
それは益財団法人金沢芸術創造財団が運営し、文化都市金沢の実現に向けて取り組む事業プログラム「アーツカウンシル金沢」のディレクターに就任させていただくことなった日です。
これまで戦友のバッグと共にクリエイターとして表現者として奔走してきましたが、この6月1日からは金沢の文化芸術に貢献し、アーティストを支援する立場にもなるのです。私が5月31日に出会った新たなバッグと共に6月1日から新たな挑戦がはじまるのです。
もちろん表現者クリエイターとしての挑戦も続きますし、戦友には休んでもらうものの捨てることはありませんのでご安心ください。
それではこれからの新しいバッグと私の奔走する日々が始まります。金沢のアートシーンを盛り上げていきますよ。ご期待くださいね。
皆さんは、
人生の節目に何か特別なことを行いますか?
どんなバッグとと共にしてきましたか?
おわりに
私の自己紹介を最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます。
長年連れ添ったバッグとの別れ。そして、新たなバッグとの出会い。これからの人生またバッグと共に奔走させていただきます。
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クリエイターのりしろ太郎の活動は、十月のオクトパス websiteをご覧ください。
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