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免疫空間・免疫住宅 その4

縄文の竪穴式住居は日本建築のルーツです。

コロナをきっかけにワクチンではなく自己免疫力、自己治癒能力を高めることに注目する人たちが増えて来ました。基本的に自己免疫力を高めればコロナをはじめウィルス性の病気にかかる確率は低くなります。

免疫力を高めるために食材を自然食品に変えたり、サプリメントに注目したり、発酵食品を取る人が増えています。
家の中にウィルスを不活性化する空気清浄機が置かれたり、水道水を安全な飲料水に変える浄水器が設置されています。
食品や飲料水、サプリに気を使い出したら、一番大切な住環境にフォーカスしてください。

現代作られている家は、76年前の終戦から近代化、経済再生のために、誰もが家を持てるように安価で大量生産できる建材や方法で家を造り始めました。

家に限らず、食品も、衣類も同じように大量生産、大量消費のサイクルに入りました。家、建物、生活は明治維新をきっかけに縄文文化から延々続いていた日本的進化が途切れ、急速に進化、発展の方向を変えて今に至っています。

縄文の住宅は竪穴式住居です。

日本は最初の定住型民族としての生活や文化を基本とし、大地とのつながりと村という横につながるフラットな集団を形成して来ました。

日本は人にとって天敵であるオオカミのような危険な動物もいないので、ドアのない開放的な建物になります。村の住民はお互い信頼関係ができているので警戒をすることもありません。

必要なものは常に大地から与えられるので他の村から略奪することも、争うこともありません。貯蔵の必要もないので貧富が存在しませんでした、権力者もいません。

縄文住宅1

縄文住宅2


村の民は長く一緒にいるので、相手のことがよくわかります。何をして欲しいのかはお互いの目を見れば察知できます、相手のことを思えば言葉がなくても察して行動ができました。
強い者がリーダーになることもなく、必要とされる者がその都度正しい指示をしました。


縄文文明は中庸で平和でした。


縄文時代の遺跡からは武器と文字が発見されていませんどちらも必要なかったのです。相手の想いがわかる彼らには多くの言葉も必要なかったのです。
テレパシーみたいですね。

私たちの祖先は世界で初めての定住民族なので当然大地とのつながりも強いものがあります。地のエネルギーや土中微生物をうまく使う術に長けていました。

発酵を使い健康を維持する食品に変えたり、身体の調子をととのえて健康を維持していました。
発酵熱を使って料理だったり、暖房に使っていました。薬や肥料も大地から作っていました、自然と共生する微生物テクノロジーと共にあったのでした。

西洋の住居の始まりは横穴式住居です。

西洋は移住型民族でした。食糧である動物の群れを追い移動しながら暮らします。動物の群れがいる間はその場所に留まって狩をしていました。
住居は横穴式住居です。いわゆる洞窟で、フランスのラスコーやスペインのアルタミラの洞窟には当時の生活が壁に描かれています。

ラスコー1


大きな動物を狩るために一人のリーダーの元にチームで狩猟をします。リーダーによって生死と獲物が決まるのでリーダーの力は強大になり、リーダーを頂点にしたピラミッド型の関係ができます。
リーダーは狩場を決めると、自分たちの一族がしばらく暮らせる大きさの洞窟を見つけ最初にドアを作ります。

天敵のオオカミと雪や風が入って来ないように、他の一族から自分たちを守るため外部と内部を遮断します。ドアの誕生です、狩猟民族は多くの緊張の中で自分を守らなければいけませんでした。

こうして西洋ではインテリアとエクステリアという概念が生まれました。

日本では内と外を分けることはなく隣や外部を取り込んでしまう借景という概念になりました。

日本は大地と共存する文明でした。

弥生時代になって床が高い作り方になり、高床式住居と呼ばれる様になリます。
大陸から違う人種がやって来て、貯蔵と交換、搾取や争いが始まりました。住居は高床式にして小動物から貯蔵物を守るようになり、土器は同じ規格にして貯蔵と持ち運びが容易にできるようにしました。より安全により経済的になってゆきました。

奈良時代になり住居は土から離れて高い床に寝起きし屋根は瓦になり、何部屋もある大きな家になります。富める者は大きな家に、そうでない者は小さな家に住みました。
さらに宗教的な大きな建物も造られるようになりました。それでも柱、梁は木で作られ、壁は土で塗られています。まだ大地、土とのつながりは保っていました。

日本建築の特徴は土と木でできていることです。それに大地のエネルギーと土中微生物のテクノロジーが加わって出来ているのです。


大陸との交流が始まり多くの移民がやってきて多民族国家のようになり、各々勝手で統一が取れなくなりました。
そこで権力者は統一したルールと権力の象徴、そして肉体を持たない絶対的権力者を造りました。それが憲法と天皇と仏教です、それらを使って聖徳太子は国を治めようとしました。

縄文の人々はフラットな関係で他を思いやる集団を形成していたのでルールはありませんでした、自然の道理に沿って生きていれば明確にルールを定める必要はなかったのです。

元からいた縄文の人々はいつの間にか姿を見せなくなり、大陸や海からやってきた人が国を統一するようになっていました。

争いを好まない平和を愛する人たちは追われて姿を見せなくなりました。縄文文明の末裔は市井に埋もれたり、海を渡ったりしました。
彼らは弱者でありません、争いを好まない人々です。

その後の進化はさまざまな争いとそこから生まれる文化の時代が1000年続きます。江戸時代になり華やかな町民文化が花開き、それなりに平和な時代が200年以上続きますがそれも終焉を迎えます。

1869年明治維新が起こり、いよいよ日本は地球規模のグローバル化の中に入らされてゆきます。

明治維新を境に大きな建物はイギリス式の模して造られるようになりました。東京駅やHSBC横浜支店です。それらは日本の建築方法ではなく鉄筋コンクリート造で造られました。日本建築ではなくなりました。

明治政府は文明開化とかいって一万年も進化させてきた日本の文化や日本建築を否定して、イギリスの習慣や規格、建築様式を持ってきて歴史を書き換えようとしました。当然チグハグで滑稽なものになります。

なぜ明治維新をした者たちはイギリスに媚へつらうのでしょうか、明治の偉人は薩長の下級武士なのに、西洋の軍服を着て勲章をここぞとばかり貼り付けています、なんとも見苦しい。武士ならばもう少し胎の座ったセンスを持っていてもいいのにねえ。
まるでイギリスの植民地のようです。

経済的繁栄と大地のエネルギーの乖離

土と大地と住居の関わりは徐々に少なくなります。そして第二次世界大戦後はさらに多くの建物がコンクリートや鉄で建てられるようになります。
都心の建物は爆弾で無くなってしまったので皮肉にも建て替え安くなりました。

人々は争うように高い建物を建てました。

今では100mを超える高層マンションができ、今までに人間が住んだことのない高さで生活する人も出てきました。四六時中フワフワ揺れているところは身体に良いのでしょうか?

そうして都市では木の柱や土壁で出来た家は見ることがなくなりました。郊外や田舎に行っても新しく建った家で土壁などありません、柱が見えることもありません。

外壁と内壁の間にはグラスウールというガラス繊維でできた断熱材が入っています。自然素材ではありません。壁には1cm厚の石膏ボードが張り、その上にビニールクロスが貼られ、床もベニヤ板にプリントされた木目模様のフローリングが張られます、室内も壁の中もほぼ新建材でできています。柱も壁の中に入って見えなくなりました。

マンションや近年に出来た家に住んでいる限り家の中で自然素材に触れることはありません。1万年以上進化してきた自然素材を使った日本の家は見ることが少なくなり、大地や土中微生物と共存してきた日本建築は残念なことに見ることが少なくなってしまいました。

縄文が終わり弥生時代から、2500年ほどゆっくりと続いた進化がこの100年で目まぐるしく発展しました。それも大きく方向を変えての発展です、当然いいことも悪いことも出てきます。
住空間でいうと縄文時代と今との大きな違いは大地との関係が薄い、土との関係性が希薄になっていることです。
大地のエネルギーを取り入れるのが下手になっているのです。

免疫空間・免疫住宅 -その5-へ続く

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