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考察の時間です -1-


考察
深く考えて物事を明らかにすること

建築家に一番必要な資質は考察力です。

建築家は何もないところに建物を創り出し、その建築物は何十年、ともすると100年を超えて存在することになります。

そこに汚れたもの、邪のものを造ってはいけません、そこに来るべき未来が見え美しくなければいけません、それが細かく見えるまで創ってはいけませんと教わりました。

ですから計画する場所に行って、その場所がどうゆう場所なのか、周りの環境がどうなっているのかを徹底的に調べたり、歩き回って感じることをします。

その辺りの地形や歴史、昔は何があったのかを調べてゆきます、そして未来にどんな建物が建って、どうゆう人々が住み、暮らしを営むのか、それは美しく人々に愛されるのかに思いを馳せます、そして地球の声を聞くのです。

そして天は何処を向いているのか、どのような進化を促しているのか、その意志を感じ取って、正しき心体で創造しなさいと教わりました。

創造の奥義

地の声を聞き、天の意に添う

それまでの経験と学びが深ければその量に応じて創造のインスピレーションがやってきます、そしてその場所に必要な建物になり、その役割が終わるまでそこに存在します。

達人になると出来た姿と終わる姿が見えているのだと棟梁は言っていました。

「まるで預言者みたいですね」と言うと

「道理がわかっていれば当たり前のことだよ」

と言われました。

「どうすればそうなれなすか?」

と問うと

「考察することだよ、それには徹底的に疑問を持つことだ、そして安易に答えを出さないこと、自分勝手な答えは真理の邪魔になる、疑問を深めて答えがやってくるのを待つことだよ。そのうち天が疑問より先に答えを与えてくれるようになる」

だそうです

「どのくらいでそうなれますか?」

と問うと

「さあ、どれくらいだったかなあ」

だって

昔の棟梁とか建築家はすごかった、あるいは今の棟梁や建築家が劣化したのでしょうか

まあ、それはさておき

このところ世界はなんだか怪しい騒動が続いています。

コロナ→ワクチン→戦争 となんとも情けなく怪しい騒動が続いています、そして今後どこへ行くのかもわからない状態です。

我が国家もどうゆうわけか迷走状態、国民を守ったり、世界が行くべき方向を示したりするのがリーダーの役割なのに何だか騒動に加担しているかのようなことばかり、なんででしょう?

コロナ騒ぎにしても、年間死者数は減っているのにこれほど恐れる必要があったのでしょうか?

ワクチンにしても二転三転、迷走した挙句に小学生にも打つという始末、正気でしょうか?

休日の街中はとんでもない人出で完全終息の程をなしているのに、内閣府はまだまだ打ちましょうと、在庫処分セールのような勢い、なぜでしょう?

戦争に至っては、お隣の国が争いを始めれば、まずは 「まあ、まあ、どうしました」と
制裁をする前に仲裁をするのが道理です、隣国日本の務めです。

まずはプーチ○氏とお友達の安○元首相を特使として送り仲裁をするのが順序です。
そこで仲裁特使が拉致でもされたら、腹を括って制裁なり防衛攻撃なりするのが隣国の務めのはず、それが遠くの国が始めた制裁に真っ先に加担して制裁をしてはいけないでしょう。

特に我が国は先の戦争で死者数310万人、原爆を二つも落とされた国です。核保有国がする戦争ならば真っ先に仲裁に入り核の使用を止め地球の平和を守る立場のはずなのにね。

それが戦争終結の最後の切り札は暗殺されてしまいました。挙句に事件の経緯や真実は闇の中で消え去ろうとしています。
事件の真相を知ろうとせず、犯人と言われる青年のことは話題から消され、直接関係のない、今では分散して大して強大ではない宗教団体の報道です、今更ですか?

バブルが弾けて21世紀に入ると2016年を境に戦争や疫病、災害、経済危機と怪しく騒がしいことばかりです、それも日本だけにとどまらず世界中を巻き込んでいます。

よくないことばかりが世界統一されても意味がありません。

さて、いったい天の意は何処へ向かっているのでしょうか。

今はちょうど東西文明転換800年説での変わり目にあたります、
さらに2500年説でも変わり目にあたっているのです。

800年前に東洋文明から西洋文明に転換しました、それがまた東洋文明に変わろうとしているのが今なのです。
西洋文は男性的・父性的・権力的・論理的であることに価値を置き、強さ、スピード、効率性で経済発展を重視してきました。
それが女性的・母性的・言語的・感性的なことに価値を置く東洋文明に変わろうとしています。

2500年転換説では夜の時代から昼の時代に移行してゆくのです。
日本では縄文時代から弥生時代への転換期にあたります、世界では枢軸時代と呼ばれて哲学が生まれた頃です。

紀元前500年頃からギリシアの哲学者たち、インドのシャカ、イランのゾロアスター、ユダヤ思想、中国の諸子百家などが一斉に登場して、人間として自己を自覚し、人間存在を意識するようになりました。

世界中で我が強くなって行ったとゆうことです。強者と弱者、敵と味方、正義と悪など二元論で計るようになります。
自然からの恵み、共生の時代から貯蔵、生産、貨幣経済の時代へと変わり現在に至ります。

21世紀が始まって、この20年余りを振り返りながら考察を始めてみましょう。
もう一つ、二つ別の視点を体得して物事を見直してみましょう、視点が多ければ多いほど物事は立体的に明確に見えてきます。

あの世の視点だったり、未来からの視点だったりね。


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