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「あの時は、ごめんね。」の力

ありがとう
は沢山言えるのに
ごめんね
が なかなか言えないのはなぜなのだろう

今日ふと
今まで自分が不義理をしてしまったな
と感じている人に
「あの時は、ごめんね。」
と言えるかもしれない
もしそのチャンスが巡ってきたら
その方とまた新たな関係性を結べるかもしれない
と思うと 
 
人生にある重さが
ぷしゅーっと軽くなったように感じた

胸がじんわりあたたかくなって
なんか 泣けた
その瞬間のために 生きているのではないかと
思うくらいだ

そう考えると
「あの時は、ごめんね。」
と言いたい人の顔が、何人か浮かんできた

私は、とてもヘラヘラしているので
今までだったら、偶然会ってしまった時に
ヘラヘラ笑って「こんにちは。」
と対応してしまっていた

でも次
もしチャンスが巡ってきたら
最初は笑ってヘラヘラ「こんにちは。」と
挨拶してしまうかもしれないけど
ちゃんと真面目に
「あの時は、本当にごめんなさい。」
と謝りたい

実家へ行った旦那さんが
色んなサイズのタッパーに入った常備菜を
持って帰ってきた
お義母さんが作ったものだ

きんぴらごぼう
ナッツの入ったばっけ味噌
ノビルの酢味噌和え

朝に久しぶりに納豆食べたけれど
幸福感がすごい

世の中にあるもの全てが小さな粒子の集まりだとしたら
わたしの身体
わたしの心の粒子

優しさと調和していけるように
そこから優しさを反芻させていく事ができるように
もっと整えていくことが大事だな
本音という魔法を使うことだな

愛が足りない
だから愛を選択していく

それしかない
と感じた4月4日

いつも感謝とか多用している人って苦手
感謝、ありがとうと言いながら
多くのものを「ちょうだい」って言ってるように感じるから

たまに感じるものだから
大事にとっておきたい

これも私の本音
言葉を大事にしよう

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