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わたしの時間

生後2ヶ月の娘を用もなく抱き上げて童謡を歌ってみた。
娘は私と目が合うとにっこり笑ってくれる。
私の目尻はさらに下がる。
私が歌うと、娘も歌っているのか喋っているのか一緒に声を出してくれるので歌うことをなかなかやめられない。
心からの幸せで私の胸は膨らむ。

これまでの私は、こんなたわいの無い時間を自分に与えることを許せないでいた。だから、今日はあえてゆっくり娘と遊んでみようと挑戦してみたのだ。

私はいつからか「自分の時間がない!!忙しい忙しい!」という根拠のない焦りに追い立てられてきた。
特にしなけらばいかないこともないはずなのに、子供と遊ぶ時間があるくらいなら、私はもっと自分のために時間を使って自分自身を充実させる必要がある、と。

はて、私の充実って何だろう。何かしたいこあったんだっけ?
私が充実を感じるのは"心が満足"している時だよね。
私にとって"心の満足"は"今という瞬間を味わう"こと。

4人の子供とゆっくり向き合う時間も"今という瞬間を味わう"ことができる。
子供たちはそれぞれに穏やかさや、一生懸命さ、今を楽しむ力、純粋さを持っていて、彼らの存在そのものが私にパワーをくれる。

かつて子供だった頃の自分を思い出す。
私が子供だった頃に持っていたパワーは、大人になるにつれて失われてきたのではなくて私の心の奥底に置き去りにされてしまったものだと気づいた。
そして私の胸の奥にある宝箱の重い蓋を少しだけ開けてみると宝物たちはキラッと光っている。
私はその宝物の存在をすっかり忘れて、何者かになることで新しい宝物を得ようと焦っていた。
でも宝物は私の中にあるのだから何者かになる必要はない。ただ思い出すだけで宝物はまた輝いてくれる。

娘と戯れる時間。
子供たちの今日の出来事に耳を傾けて、子供の充実した1日に感謝する時間。
「お母さん、これ見てー!」という声に野菜を洗う手を止めて子供の説明を聞く時間。
こんなささいな時間だって、じっくり味わえばかけがえのない宝の時間だ。
その時間を「忙しいんだ」ってやり過ごすのではもったいない。まさに"心を亡くす"行為だ。

これまであまりにもたくさんの宝物を押し込め過ぎてしまい、一つ一つ取り出して眺めるには時間がかかるだろう。
心がざわざわする作業は続きそうだけど、1日10分でも私の心を解放する時間を自分に許可してみよう。

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