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「雨」のち「虹」 ~陽向の丘に降り注ぐしずく、ひかり~

日本で標高の高い山は、誰もが御存知の富士山、南アルプスの名峰である北岳、登山愛好家の聖地の代表格である穂高岳の順になるようだ。
山梨県北西部に位置する北杜市のうち、長野県との県境に近い小淵沢の一帯は、これら3つの山の姿を望むことができるエリアである。
そもそも北杜市は、火山が噴火した際に流れ出て堆積したものが、水の流れによって長い時間をかけて深く削られた地形が多く、起伏に富んだ場所である。
小淵沢は、サントリーウイスキーやシャトレーゼの工場があることで有名なお隣の白州から、息切れしそうなほど急激な崖を上がった先にあるので、とても眺望がよいのだ。

北杜市は、全国平均に比べて降水量が少なく、日照時間が日本一とも言われている。小淵沢のエリアは、南向きに斜面が広がっているため、お日様の恩恵を受けやすい。また、日が昇る南東の方角の先に甲府盆地が広がり、日が沈む南西の方角に南アルプスの山々がそびえているので、朝方の明るい青色から夕方の淡い水色まで、空の色彩の変化がはっきりとした印象がある。そのため、訪れる季節・天候だけでなく時間帯によってもそれぞれ違った風景が広がっているようだ。

そんな数々の名峰が見渡せる地、どちらかといえば雨天よりも晴天に恵まれることが多い丘の上に、「雨」を冠するコーヒー屋 兼 工房がある。

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雨の日の虹 珈琲雨待ち

https://www.instagram.com/amemachi_/

https://www.instagram.com/chiisakitekara_umarurumonomono/

https://amemachi.theshop.jp/

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このお店の名前は、「雨」「虹」という二つの言葉が印象的だ。
「雨」「虹」が何を表しているのか、そこにどういう意味が込められているのか、私が探した限りでは、明示的には説明されていないようである。
実際にお店に訪れた上での印象や、インスタグラムでの発信を踏まえた上で、一介の客である ― しかも初訪問から1年ばかりしか経っていない新参者に過ぎないのだが ― 私なりのイメージを申し上げることをお許しいただきたい。

「雨」は、第一にコーヒーのしずくを指しているのだろう。
店主のM夫妻の奥様が淹れるコーヒーは、お手製のネルを用いて一滴ずつドリップして抽出されたもの。ケトルから注がれて落ちた小さなしずくは、ネルとコーヒー豆にじんわりとしみ込み、やがて乾いたグラスを潤すようにゆっくりとしたたり落ちる。集まった黒いしずくの海は、ミルクや砂糖といった添え物を介在することなく、そのまま素直にお客さんの心の中に入り込んでいく。
奥様がコーヒーを淹れるたたずまいは美しく、このお店の「空間」の象徴でもあり、このお店に流れる「時間」を司るものでもある。

物理的な「雨」そのものを指しているようにも思える。
このお店で提供される食事は、主にサンドイッチであり、具材にはお店そばの畑で採られた野菜などが用いられているようだ。
当然ながら、野菜が育つには、晴れだけでなく恵みの「雨」も必要となる。
「雨」「待ち」の名前には、野菜を育む貴重な雨を祈る思い、また、これまでもたらされた雨への感謝の思いが垣間見えるのである。

ほかには、「努力の結晶」という意味での汗のしずくも含まれているかもしれない。
インスタグラムでしばしば登場する、御主人がコーヒー豆を焙煎する姿。感覚を極限にまで研ぎ澄ましながら手回しの焙煎機を回す作業に、どれほどの汗が流されてきたか正直「想像」が及ばない。このほか、畑で野菜を育てる作業、サンドイッチ用のパンを酵母から育て焼き上げるまでの作業、ネルフィルタの作成を布選びから縫い付けまで行う作業などにも心を砕いてきたに違いないだろう。コーヒー豆の通販や焼菓子の物販にも力を入れているようだ。
こういったM夫妻の情熱がしずくとなって、コーヒー、サンドイッチなどの味を一層豊かなものにしているのだと思う。そして、これら「作品」のために注がれた数多のしずくは、やがて雲や霞に姿を変え、遠く便りを待つヒトたちの心にも「うるおい」や「いろどり」をもたらしているのかもしれない。

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これら「雨」のしずくによって、空に大きな「虹」が架かるのは、「光」という存在があるからだ。
この「光」は何を意味しているのだろうか。

言うまでもなく、太陽の「光」が当てはまるのだろう。
恵みの雨と同じく、山々を望む丘に降り注ぐ日光は、実り豊かな大地に欠かせないものだ。大地は、畑の野菜だけでなく、生き物がその足で踏みしめながら、育つための舞台でもある。
このお店は、近隣の農場で大切に育てられた平飼いの鶏たちが産む新鮮な卵(*)を使用している。日光を浴びながら自らの足で大地を自由に動き回ることで(もちろんこれ以外にも重要な要素がたくさんあるのだろうが)、卵にエネルギーに満ちた味わいが生まれるようだ。卵は、時にサンドイッチの具材として、時にケーキの材料として登場し、確かな存在感を放っている。

*卵の特徴、卵への思いは、お店の「食」部門のアカウントで詳しく説明されています。
https://www.instagram.com/chiisakitekara_umarurumonomono/

このほか、視覚だけでは感じとることができない、追い求めた先に差し込んでくる「ひかり」もあるようだ。
御主人が担当するコーヒー豆の焙煎は、御自身の五感を頼りに豆の灼け具合を確かめていくスタイルのようで、「暗闇の中、ひかりを探し歩いているような感覚」と表現されている。焙煎する姿を目の当たりにした訳ではなく「想像」することしかできないのだが、焙煎の記録を記した分厚いノートなどから、果てしない暗中模索の道のりであることがうかがえる。その先に見出だされる「ひかり」は、真剣に豆に対峙する情熱、焙煎への愛があってこそのものなのだろう。
この「ひかり」のおかげか、お店の棚に並ぶ深煎りの豆は「包容力」のある柔らかな「輝き」を帯びているように見える。
お店でコーヒーのうつわが手渡されたとき、または、豆の便りの包みを開いたとき、あるいは、テイクアウト用のドリップバッグ ― 「ひかりのつぶ」と名付けられている ― の封を開けたとき、豆の「輝き」はそのヒトの心を明るくするのだろう。
「未来」に進もうとする「前」向きな気持ちにつながっていく気がするのだ。

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コーヒー豆の焙煎の過程で差し込む「ひかり」が、そこから抽出されるコーヒーの「しずく」の味わい深さを引き立てる ―
空からやってくる「雨」と「光」が滋味あふれる野菜や卵を育む ―
M夫妻が注いできた情熱による汗の「しずく」が、お店を支える方々の暖かい「まなざし」と相まって「作品」に輝きを与える ―
とてもとても長い前置きになってしまったが、こういった雨のしずくとひかりの相互作用によって、お店を訪れるヒトたちの心が雨上がりの空のように澄みやかなものとなり、そこに鮮やかな虹が浮かぶ ― というのが、私が勝手に抱いているイメージだ。
お店のコーヒー、サンドイッチなどに接した時の喜びは、画一的なものではなく、きっと虹の色のようにさまざまなのだろう。

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珈琲雨待ちのメニューの構成は、私がこれまで訪れた限りでは、コーヒー、サンドイッチ、デザートとなっている。
サンドイッチ、デザートは、「アテ」と表現され、酒と肴のように、コーヒーと一緒にじっくりと味わってほしいという意味が込められているようだ。
サンドイッチのパンは、日本で一般的な食パンではなく、自家製のリュスティックである。このお店のリュスティックは、ハード系特有の歯切れの良い表面と弾力のある中身が共存する、柔と剛を兼ね備えたもの。
口の中で噛みしめるほど、リュスティックそのものの旨味があふれ出してくるとともに、具材が持つ滋味もリュスティックに徐々に浸透するので、食べ始めの印象と食べ終わりでの余韻が大分異なるように思える。
サンドイッチの具材は、旬の野菜や食品が用いられ、バリエーションは虹の色のように多彩だ。リュスティックの発祥であるフランスのテイストを感じつつ、日本のおにぎりのような組み合わせの自由度も備えた特徴的な一品と言えるだろう。

デザートは、「甘やかしのアテ」とも称され、サンドイッチと同じく、内容は時々によって異なる。卵をベースにしたケーキであったり、ブラウニーであったり、アイスクリームであったり、甘い具材のサンドイッチであったり・・・。時折具材に登場する手作りの粒あんも秘かな人気を集めているらしい。
サンドイッチを頬張り噛みしめるという「格闘」を終えたばかりの自身の口を「甘やかす」にはちょうどいい塩梅の優しい甘さが広がる。

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珈琲雨待ちは、6~7名が座れるほどのミニマムな「空間」であり(原稿執筆時点)、コーヒーだけでなく「アテ」も一皿ずつ丁寧に盛り付けを行っていくので「時間」もゆっくりと流れていく。そのため、タイミングによっては満席となり、お店に入るまでの「待ち」が生じてしまうこともあるようだ。
1~2名で赴くのがスムーズと思われるし、観光のスキマ時間ではなく時間に余裕をもって、お店を主目的地として訪れるのが適していると感じる。また、最近では席の予約も受け付けておられるので(インスタグラムの投稿を要確認)、予定が決まっている場合はこれを利用するとよいだろう。

一介の客に過ぎない私が申し上げるのは僭越であるが、
これからも、ココロと予定に余裕を持ったお客さんたちによって、このお店で心地よい「時間」が流れていくことを切に願う。
今日も皆、M夫妻が手がけるコーヒー、サンドイッチ、デザートに出会えることを心「待ち」にしているのだ。

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先に書いたとおり、私がこのお店に出会ってまだ1年。
まだ常連を名乗るタイミングにはなく、
きっとこのお店のコトを「知った気になっているだけ」なのだろう。
これからの機会を通じて、もっと知るコトができればと思う。

今回も、思い出が多すぎて、思い入れがありすぎて、長く読みにくい文章になってしまった。
これまで過ごした時間に感謝するとともに、これからの時間が少しでも長く続くよう祈りをこめて。
なお、私の拙い文章を見て、お店に興味を持たれた奇特な方がもしいらっしゃいましたら、インスタグラムの固定・最新の投稿に記された注意事項などをご確認の上、ぜひ足を運んでくださいませ。

(2024.6 記)

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