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教わらなかった会計 ― 経営実践講座(金児 昭)

 著者の金児昭氏「公認会計士試験委員」をされていたとのことですが、だからといってこの本で教科書的な「会計(簿記)」の知識を得ようをしても、それは無理な相談です。
 本のタイトルも「教わらなかった会計」とありますから、「教科書」には書かれていないことがこの本のメッセージです。

 そのメッセージは、著者の以下の言葉に凝縮されています。

(P44より引用) 会計の目的とは何でしょうか? これは私の考えですから強要はしませんけれど、それは「人間を幸せにすることだ」と思っています。

 もう少し具体的に説明しているくだりは以下の部分です。

(P179より引用) 繰り返しますが、私は、会計学は人間を幸せにするためにあると思っています。人間というのはもともと弱いものです。弱いから、その弱いものを大きな柔らかい網で囲ってあげる。そうすることで、弱い心につけ入れられるような事態から守ってあげる。そして、この外の領域には出ないようにしてあげることで、世の中をよくしようというのが、会計学に対する基本的な考え方です。会計学は会社の中の専門の部署とか、学者とか、そういう人たちだけのものであってはいけないのです。一番勉強しなければいけないのは全国のトップ、社長です。そうしないと、会計学は人間が幸せになるための学問にはならないという判断を、私はしています。

 会計を通した著者の経営哲学を開陳した書です。

 そのあたりの想いは、時価会計に対する著者の主張や連結経営(グループ経営)においての基本理念等の表明に明確に表れています。

(P182より引用) 時価で評価するというのは、会社で物をつくるということの意味づけを考えるのではなく、その会社を瞬間的な価値で評価してしまうことにほかなりません。会社そのものを売ったり買ったりする評価の対象にするということです。だから反対というわけです。
 我々は毎日生きていきます。毎日の生活にも連続性があるわけですね。・・・
 いつでも、ある時点、一瞬の残高、あるいは市場価値だけを見る生活が人間らしいものでしょうか。人間というのは、そういうものではないと思います。

 こういった金子氏の主張は、主として製造業に対しての時価会計適用反対が起点です。
 しかしながら、それにとどまらず、時価会計の適用拡大についても警鐘を鳴らしています。ある一瞬のすべての状態を単位「円」で評価することについてのアンチテーゼです。それは、企業活動は連続したものであり、その中で営まれている継続的努力やプロセスも正当に評価すべきとの考えの表明だと思います。
 昨今、一部IT企業の粉飾決算が話題になっている中、再考されるべき考えの機軸であると思います。

 あと、もう一点、金子氏の会計学の位置づけ・意味づけの根底にある考え方は、「経営における性善説」です。
 これが典型的に表れるのが「連結経営(グループ経営)」のシーンにおいてです。

(P254より引用) 全社一丸となって、ある方向に向かって、しかも、それぞれが自主性を持って進む。上から押しつけられるのではないのです。管理とかコントロールとか、そういう考え方で押さえられるのでなく、自分もそうしなきゃいけないなという気持ちでやった仕事が、ほんとうの性善説に基づく連結経営です。

 このあたりの企業経営にあたっての基本姿勢についての考え方は、特に昨今身近なテーマですね。(性善説で進められればいいのですが・・・)





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