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決定学の法則 (畑村 洋太郎)

ひとりの決定

 畑村洋太郎氏の本は、氏を有名にした「失敗学」関係をはじめ、いままでにも何冊か読んでいます。
 久しぶりの今回は「決定」がテーマです。

 まず、畑村氏は、決定にあたって迷いがあることを前提に、決定の勘所として「経験」「知識」「仮想演習」の3つを示します。

(p45より引用) 迷いをなくそうとすること自体、無駄であるともいえます。そんなふうに迷いがついてまわる中でも、選択を早く、正しく行うには、やはり十分な「経験」「知識」、それに十分な「仮想演習」が必要です。

 決定は瞬時に行われるものではありません。畑村氏流の言い方では、決定過程は「思索の脈絡」です。
 そして、畑村氏は、決定にいたる「過程の記述」を勧めます。最近の流行のフレーズでいえば、“決定過程の『見える化』”ということになるのでしょう。

(p53より引用) 決定過程の記述とは、まさに思考の脈絡のアウトプットに他なりません。
 決定過程の記述は、自分の頭の中でもやもやと浮かんできたものを概念化し、言葉や絵などで表現できるものに表出することから始まります。表出することによって、自分の考えを整理して前に進めることができるし、記録することも、他者に伝達することもできます。そして何より、表出した要素同士の関連性を見出して、それを構造的に組み立てることができる。つまり思考の脈絡が見えてくるのです。

 この記述の過程で、結論に至るうえでの自分の考えに足りないものや不要なものに気づくのです。
 こういった決定過程の考察から、畑村氏は、「決定のテンプレート」を提唱します。

(p173より引用) 「どんな決定においても、この要素は外せない」という「決定における一般則」が存在すると、私は考えます。・・・
 それは、「人」「モノ」「カネ」「時間」「気」という五つの要素(概念)です。
 決定において考えるべき事柄はこの五つの概念に大別できます。

 この中でちょっと毛色の異なるのが「気」です。
 「気」は、「人」「モノ」「カネ」「時間」すべてを包む「雰囲気」のようなものです。はっきりした実体があるものではありません。また自分を取り巻いているものでもあるので、かえって気づきにくいのです。

 そんな「気」に気づくための要諦を畑村氏はこのように示しています。

(p190より引用) 「気」に気づくために必要なのは、歴史を学ぶことと、ものごとをよく観察すること、この二点に尽きるのではないかと私は考えています。

 「歴史を学ぶ」というのは、決定をする「今」が乗っている地盤の大きな動きを意識するということでしょう。

みんなの決定

 畑村氏が論じる「決定」には、「個人」としての決定についてのみならず、「組織」における決定もスコープに入れています。

 畑村氏は、“個人としての決定を「組織」として共有する” ことの意義を以下のように語っています。

(p56より引用) 自分がどんな背景で何を考え、何に制約を感じ、何に迷ったのか。そして何を決めたのか。真に決定を共有するということは、そうした決定のプロセスを相手に理解してもらうということです。決定が共有できなければ、組織力は発揮できないし、組織を改革・改善するエネルギーも生まれてこないと思います。

 ひとり一人の決定が共有化され「個々の思考のネットワーク」ができると、組織としても、個々のメンバとしても、考えの広さ・速さが格段に向上します。

(p276より引用) 大切なのは一人一人、個々が全体を意識しながら独立して考え、行動することです。それぞれが独立した状態で自由に物事を考えれば、各人の個性に合わせてその思考領域は広がります。そして各人に共通する思考領域を足がかりにすれば、他者の考えも超高速で理解できるようになる。そうなれば、自分では考えつかなかった他人の思考や他人の経験を自分のものとして活用できるのです。

 あと、この本を読んでの気づきです。
 それは “「想定外」の効用” についてです。

 いままで、後発者としての強みを活かして発展してきた日本は、分野によっては、トップランナーの仲間入りをしました。先頭を走るものは、先人の経験を辿ることはできません。自らがリスクを想定し、それに対応しながら道を切り開いていかなくてはならないのです。

 当然、「想定外」のことが起こります。畑村氏は「想定外の事態」を「進歩の契機」と捉えています。

(p271より引用) 想定外の事態にぶつかったということは、フロントランナーの証です。他に頼る術のないフロントランナーにとって想定外の出来事はいわばダイヤの原石であり、原石を磨き上げることが“進歩”につながるのです。「そのダイヤモンドの原石をただの石ころだと思って蹴飛ばしてはいけない」

 つまずいた石をよく見ましょう。拾い上げてみましょう。
 「転んでもただでは起きない」気構えです。

「吉野屋の牛丼」の決定

 本書の第2章では、「吉野家の価格決定」をケースに畑村氏の「決定学」を実践に適用しています。

 併せて、吉野家安部修仁社長の興味深い話がいくつも紹介されています。
 まずは、「自負」についての安部社長の示唆です。

(p140より引用) 自負を持つというのは大切なことですが、反面で持ち過ぎると悪い面もあります。
 自分が相手より勝っていることを確認するために、現状と向き合おうとはせず、自分の長所と相手の短所を引き比べて優位な部分を探そうとします。本当の意味での競争力を鍛えずにそんなことばかりしていると、優位性はどんどん失われて、最後には何もなくなってしまうんです。

 この点は、次のような、「観念的論評」を嫌い「事実への立脚」を基本とする安部社長の姿勢に通じるものがあります。

(p141より引用) 私は「観念的に論評されることは間違っている」という前提に立ったほうが逆に間違いは少ない、と思っています。・・・特にマーケットの予測なんてほとんど外れてますよ。大体、五分先の株価や為替動向が読めないのに、何で一年後の予測ができるんだと言いたい。
 だから私は現象の把握はあくまで事実に基づいて行おうと心掛けています。

 また、安部社長のいう「スピーディー」の定義も興味深いものです。

(p144より引用) 私が考える本当のスピーディーというのは、仮説の検証を正しいステップで迅速にやって早く結論を見つけることです。でも、多くの人は世の中が要求するスピーディーは、そんなステップはすっ飛ばして思い立ったらすぐにやることだ、と勘違いしている。だからいっぱい間違えるんですね。

 安部社長の思考は非常に論理的・実証的であり、その論理プロセスの高速化が、安部社長の決断の大きな要素になっているようです。

 吉野家の新価格決定に至るプロセスにおいて、安部社長は「250円セールの失敗」を経験しています。
 失敗について、畑村氏は「反省」と「省察」という2つの言葉を用いて以下のように論じています。

(p256より引用) 必要なのは反省ではなく、「省察」です。・・・決定学における省察の中身は何かといえば、決断し、行動して、起こった結果を省みることです。結果の要素を摘出し、構造化して考える。それを文章や絵でまとめて知識化する。こうした行程を踏んだ省察だけが他者に正しく伝わり、次の機会に生かせるのです。そこに自己批判は必要ない。結果を受け止めて正しく分析するだけのことです。省察は次に動くためのエネルギーを生み出すものなのです。



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