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プリンシプルのない日本 (白洲 次郎)

 先の「組織戦略の考え方」に続いて、この本も私がお世話になっているかたのBlogで紹介されていたので手に取りました。

 それまでは、恥ずかしながら白洲次郎氏については全く知りませんでした。
 戦後の対米交渉の中心人物として活躍したとのことですが、経済復興推進を企図し通商産業省(現在の経済産業省)設立にも深く関わり、戦前・戦後は実業界にも籍を置く、はたまたその間、日米開戦を予感し農業に従事する・・・と様々な顔を持った剛毅の人だったようです。

 そして、氏が今に名を知らしめているのは、その生涯を貫いた「プリンシプル、つまり原則に忠実である」という強い信念ゆえでした。

(p205より引用) 日本語でいう「筋を通す」というのは、ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが、筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げているとしか考えられない。あたり前のことをしてそれがさも稀少であるように書きたてられるのは、平常行動にプリンシプルがないとの証明としか受取れない。何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。しかしプリンシプルのない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。

 彼が対米折衝の前面に出ることとなったのは、吉田茂氏の懇請によるものでした。暴言放言で有名なワンマン的イメージの強い吉田茂氏の慧眼?であり、また柔軟な人材登用術の表れともいえます。

 「プリンシプル」に重きをおく姿勢は普遍的に正しいと思います。
 次の問題は「プリンシプル」自体の正否・適否・是非ということになります。「プリンシプル」に歪みがないかが気になるわけですが、彼の「プリンシプル」の基には、「国民主権」とか「自主独立の心」といったフェアな民主的な思想がありました。

(p211より引用) 新憲法のプリンシプルは立派なものである。・・・政治の機構としては中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。・・・押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。

 憲法改正の現場にも当事者として立ち会った白洲氏の言葉だけにその判断の「フェア」さには重みがあります。

 各論としての「プリンシプル」の例としては以下のような直言があります。(朝鮮特需後の経済停滞の打開策として、輸出振興を図る手立てについての白洲氏の言)

(p122より引用) どんなことをやるにしても根本の精神に於て守り通すべきことは、
一、コストが国際水準又は以下になり得る可能性の無い産業は止めること。
二、最も有利で適当な産業(今から始める新産業も含む)に集中すること。

 50年以上前から「選択と集中」が提唱されています。白洲氏の頭の中では、「プリンシプル」に基づく至極当たり前のことだったのでしょう。

 ただ、この本で語られている50年前と基本的な在り様が、全く変化していないことに情けなさを感じます。政治については全くの門外漢なのでコメントする資格はありませんが、政治家は世襲され、直言居士は一代限りということでしょうか。


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