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それは個人の「意識」の問題! 〔気になる記事(日経BizGate)〕

以前、
 ・ワイガヤ効果に錯覚 仕事を個人に「分けた」ら生産性3倍
  → https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO6280857019082020000000/

という日経BizGateの記事を紹介しましたが、そのシリーズです。

 ・「仕事分けたら格差拡大」は誤解 任せて成長促す
  → https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO6343014004092020000000/

 記事中にこういうくだりがあります。 

 そして、そもそも集団主義は「弱者」に優しいといえるのだろうか?
 たしかに急ぎの仕事やレベルの高い仕事は優秀な人に、そうでない仕事は比較的能力の劣る人に回したほうが集団としては効率がよい。しかし、それでは優秀な人はますます能力が高まるいっぽう、劣る人はいつまでたっても能力が上がらない。そしてだんだんと集団内での能力格差は広がっていく。・・・
 いっぽう単独で仕事を受けもつ場合には、職人と同じように自分で最初から最後までこなさなければならない。けれども自分のペースで、そして自分なりのやり方で仕事をこなすことができる。少々能力に差があってもそれぞれが上達し、結果的に極端な生産性の差がつかなくなるのである。

 確かにこの指摘は正鵠を得ていますが、私は、ここでも敢えて疑問を呈したいと思います。

  ・分担された仕事を「ひとり(Aさん)」でやる
    (簡単なパート+難しいパート)
    → Aさんは上達する
  ・分担された仕事を「集団」でやる
    (簡単なパートはAさん、難しいパートはBさん)
    → AさんとBさんとの間に能力格差が生まれる
というパターンを論者は想定しているようですが、“だから「集団主義」はダメ” というのであれば、概念の混交と論理の飛躍があります。

  これは、ひとつには「集団のマネジメント」の問題ですし、「個人(Aさん)の意識」の問題です。
 マネジメントがしっかりしていれば、Aさんを指導/教育するでしょうし、Aさんに責任感や向上心がなければ(ひとりで仕事をしても)上達しません。
 「ひとりで分担した仕事をする」というのは能力向上の“手段のひとつ”であって、「ひとりでの作業」を“目的”とするのはあまりに短絡的です。

 記事の最後にまとめとして、

 労働市場が流動化し、転職や独立が当たり前になることが予想されるこれからの時代に、独り立ちできる人材を育てることは企業の責務でもある。集団のなかで庇護(ひご)し、周囲がカバーするやり方は、長い目で見れば決して本人のためにもならないのである。

 と論者は結論付けていますが、私の考えは、
 前半の「独り立ちできる人材を育てることは企業の責務でもある」は完全同意。しかしながら、後半の主張には「?」です。

 「周囲がカバーし続ける」のはマズイと思いますが、“(集団のメンバが)独り立ちさせるサポートをする” のはむしろいいことだと思います。
 “教える(指導する)”という体験は教える側のスキルアップにもつながり、グループ全体の成長をもたらすと考えるからです。


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