TheBazaarExpress99、世界の日常を変えてやる、緻密なる暴君・ソニー・コンピュータエンタテインメント社長・久多良木健

規格外れの男が

常識破りの

商品を生んだ

 その現場でいちばんはしゃいでいたのはこの男だったのかもしれない。三月四日早朝の渋谷。この日発売となったプレイステーション2を求める徹夜の行列の前に、その「生みの親」、久多良木健(四九歳)は小型のカメラを持って突然現れた。午前七時の発売開始の模様を嬉々としてカメラに収めると、集まった報道陣を尻目にスタスタと歩き出す。はたしてこの男、どこから歩いてきてどこへ向かおうとしているのか。

 溯ること約一〇日前、インタビューの中でまず語られたのは、少年時代の話だった。

「戦後、台湾から引き揚げてきた親父が印刷屋を開いたんです。僕も小学生の頃から家族と一緒に朝の五時には起きてたね。うちのお得意は築地の魚市場だったから、七時半には築地に行く。そこで番台に座っている仲買いのおばちゃんの裏側から二階に上がって、伝票類とかセリ札とかの在庫を調べるんだ。おばちゃん、そろそろ伝票なくなるよ、なんて。つまりお得意様の在庫管理をする。そういうのは親父にやらされていたわけじゃなくて、商品が売れるのが嬉しくて、自分で好きでやっていたんですよ」

 独特のぶっきらぼうな口調。しかしその声は、意外なほどに高音だ。こちらの質問の意図に納得すると、速射砲のように言葉が飛び出してくる。

「それに飛び込みもやったな。うちは深川だったけど明石町とか聖路加病院のあたりまで、他の印刷屋が入っている八百屋とか洋服屋とかに飛び込むんです。それでしばらく仕事を見ていて、何か足りないものに気づくとその注文を取ってくる。一つでも取れたら、もうアカウントができるわけだから」

 この日のインタビューの目的は、巷間語られる久多良木健という男のイメージ崩しにあった。曰く「ソニーの三悪人」「業界の異端児」「はぐれ鳥」「わがまま」。さらには今日の成功までも「大賀さんに可愛がられたから」「たまたま時流に乗ったから」と揶揄するような声も聞こえてくる。半導体業界に当たってみると、そこにも異端にふさわしいこんな風説が張り付いていた。

「かつて日米半導体摩擦が激しかった九〇年代初頭、通産省の官僚がソニーにアメリカ製チップを使うように指導したところ、激しく反対する若手社員がいた。名前を尋ねると久多良木といった」

「久多良木は、ソニーの半導体部門の社員を激しく罵倒するのが常だった。自分が望む製品ができないと、たとえ先輩であろうとも容赦はなかった」

「半導体を買い付ける役割のソニー購買部の管理職を激しく非難する久多良木を見たことがある。職分のヒエラルキーなど、彼の頭にはないらしい」等々。

 もちろんそれらは、語り伝えられる中で面白おかしく膨らんだ部分もあるだろう。久多良木本人にとっても本意ではないはずだ。インタビュー中あらためてそのことを訊ねると、答えはたった一言、「だってあいつら馬鹿なんだもん」。

 これでは、エクセレント・カンパニーにあっては「異端」「奇人」「独りよがり」と言われても仕方ない。だが語られる言葉を吟味してみると、従前のイメージとは逆に実に合理的なビジネスセンスが感じられた。彼はソニーと出合う前にそれを身につけていたのだ。

「七五年にソニーに入って何が驚いたかって、仕事しないでのうのうとしている人がいるのにはびっくりしたな。働かないで給料もらってる。はっきり言って軽蔑してたに近いね。僕は子どもの頃からタイムカードがある商売なんて経験していないから。朝起きて皆が頑張れば頑張るほど経営指標は上がっていく。売り上げが上がる。いろんなことができる。ところがソニーの人は、朝来てふらふらして夕方になるとパッと帰ってしまう。何かあるとすぐに鉢巻き締めて赤旗でしょう。理解できなかった」

「もっと嫌だったのは予算会議ですよ。こっちは商売人だから、よりいいものをより安く手に入れようとするわけよね。当然仕入れの感覚はそうでしょう。ところがソニーは違ったの。なるたけ楽をしようとする。もう役所と一緒。値段も相手の言われるとおり払っているし、検証しようとしない。一事が万事、気に入らなかったな」

「皆勉強しようとしないから、世の中の技術がこんなに変わっているのにそれを追いかけない。本を読まない。予算がついたらその使い方を誰もケアしない」

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