見出し画像

正当な利己性と個人のミッションと矢沢永ちゃん|25冊目『これからの生き方と働き方』

チャールズ・ハンディ(2021 , かんき出版)


”4つのワーク”を語るイギリスのドラッカー

昨年12月、知人から紹介されて、東京家政大学 女性未来研究所が開催したオンラインのシンポジウム「男女が共に担うべきアンペイドワーク 家族にとってのジェンダー平等とは?」を視聴しました。
男性には耳が痛い話が多かったですが、納得できる素晴らしい内容で、私も考え方を改めなければと強く思いました。

このシンポジウムのパネルディスカッションでチャールズ・ハンディ氏を知りました。
ハンディ氏は、人にはFee Work(=有給の仕事)以外に、Home Work、Study Work、Gift Workがあるとしています。
ネットで検索すると”イギリスのドラッカー”などという説明もあって、ちょっと興味があったので著書を1冊購入しました。
それがこの『これからの生き方と働き方』です。

経済主体の効率化が生み出してきた珍道具たち

書籍の内容は大きく3つのパートに分かれています。

まずは資本主義によって発展してきた現代の世界がどんなことになっているのかという話です。

資本主義は経済的な効率化を求めてきました。
スミス的効率、ケインズ的効率、さらにはシュンペーター的効率とが説明されています。
特に「雇用のポテンシャルを生かせないことは経済的損失である」と考えるケインズ的効率の考え方は、本来の需要ではない、利益のための需要を生み出してきました。
「もっと良いモノ」「もっと便利に」とどこまでも人々の所有欲を煽り続けていかなければ、企業は継続的に利益を上げて行くことができません。
つまり、意図的な消費社会の創造です。
そうしてムダな機能、不必要な機能満載、サービス過剰の珍道具だらけの世の中になってしまっているといいます。

正当な利己性はミッション
白い石探しはビジョン

次のパートで語られているのは、望ましい個人のあり方と、個人が主体となった時代と企業のあり方です。

ここでの重要なキーワードは ”正当な利己性”。

ハンディ氏は「自分に関心を持ち本当の自分探しをすることを正しいと認めるために正当な利己性という言葉をつくった」といいます。

「正当な」とは言葉を代えれば「まっとうな」「根拠がある」「説明できる」もっといえば「(自分や他者に)言い訳できる」ということかと思います。
「利己性」とは「わがままであること」「自分のやりたいことをやること」「自分の利益をもとめること」というところでしょうか。
とすると、正当な利己とは、自分がやりたいこと、求めていることがあって、それをそうすることの正当な理由を、自分に対して、そしてまた、誰か他の人に対してちゃんと説明ができるということなんだと思います。

それってもしかしてその人の「生きる意味」、すなわち 「個人のミッション」のことではないでしょうか?

正当な利己はまた、「理想の自分」、すなわち「個人のビジョン」であるとも考えられます。

『新約聖書』ヨハネの黙示録には、「勝利を得るものには隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかには誰にも分からぬ新しい名が記されている(訳注:日本聖書協会 新共同訳を引用)とあります。
ハンディ氏は人生は「白い石探し」であり、その石は一人ひとり違うといいます。
自分のあるべき姿は白い小石に記されていますが、それを手にしなければ何と記されているのか(=本来のあるべき姿)はわかりません。

であるならば、私が思うには「白い石探し」もまたビジョンであるのだと思います。

「正当な利己性には、アイデンティティを自らの手で守ることが求められる」とハンディ氏はいいます。
正当な利己がミッションで、白い石探しがビジョンだとすれば、アイデンティティはそう、バリューです。

矢沢永吉とスラムダンクと中村哲医師

最後のパートでは個人の「正当な利己性」によって、これからの社会をどういう方向に向けて行くべきかが問われています。

現代においては「利他」こそがまっとうであり、あなたは、あなたが「すべきこと」を考えるべきであり、あなたが「したいこと」や「利己」を求めるのは今どきじゃないという雰囲気もあります。

確かに企業や個人の利己が社会をおかしくしてしまったことは否めないでしょう。
そういう意味では「正当な」という形容詞が「利己性」の前にあることは納得できます。

私は毎週ランニングのときに、アップルミュージックの「TOKYO HIGHWAY RADIO with MINO」を聴いているのですが、年末のお休みで更新がストップしていたので、大晦日の走り納めの日は矢沢永ちゃんの、「E・YAZAWA WY WAY Radio」を聴いて走りました。

ジョン・レノンがビートルズで成功して、ロールスロイスをピンクに塗って走る姿を見て、クレイジーだと思うか、カッコいいと思うかの二択なんだよ。
俺はカッコいいと思ったね。
そうか成功したらこんなことまでできるのか。
俺もきっと成功してやる!って思ったんだよ。

なんてエピソードはいかにも永ちゃんです。

ロールスロイスをピンクに塗ることは正当なこととして説明ができないかも知れません。
じゃあ、ジョン・レノンや矢沢永ちゃんの利己性は不当なのでダメだといえるでしょうか。

昨年末は映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観て感動しました。
宮城リョータが、花道が、そして三井が、山王に勝つことを求めるのは必然であり純粋であり、ゆえに本人たちにとっては真に正当であるといえると思います。
そして彼らの利己性はどれだけの人々に勇気を与えてくれたでしょうか。

私は、論文を書くために昨年からいろいろな人にインタビューをさせてもらっていますが、ある人が、アフガニスタンで亡くなられた中村哲医師について以下のように話してくれました。

「砂漠を緑に変えたいというのが病院のビジョンだったらおそらくはあれほどの緑にはならなかったんじゃないでしょうか。
中村医師個人の強烈な思いがあってこそ、あれほどの緑が実現できたんだと僕は思うんですよね。」

(正当な)利己性のパワーこそが社会を変えるのだと実は自分も思っています。


最後までおつきあいいただきありがとうございました。
スキ♡の応援よろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?