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平和の尊さ

 今年も8月6日広島原爆の日、9日同じく長崎、そして、15日の終戦記念日がやって来た。
 色々な要素があり、単純に誰が悪いとは言えないが、軍関係者は勿論、アジア近隣諸国、日本、それぞれの一般の方々に甚大な犠牲が出てしまったのは、本当に気の毒としか言いようがない。
 残念無念であっただろうし、このような方々のことは、未来永劫けっして忘れてはいけない。

 だが、あってはならないことだが、終戦後、長い年月が経ち、その記憶が風化しつつある。
 戦争を知っている世代は、というと、仮に終戦となった昭和20年に、10歳以上だった方々は、74~75歳以上となる。
 10歳くらいの記憶というのは、本当にその時点の記憶か危うい面もあるが、強烈な記憶なら、10歳、あるいは、もう少し下の年齢まで覚えているかもしれない。
 それにしてもせいぜい70歳以上の方々であろう。
 少なくとも、昭和20年生まれ以降、64~65歳以下は、実際の経験として、全く戦争を知り得ない。

 戦争を知っている世代の方々の多くは、二度と戦争は沢山だとおっしゃっている。
 母の知人の戦場体験は、中学生の頃の私にも強烈だった。
 敵兵たちの顔や声などがはっきりわかる距離にも遭遇し、緊張の極限に静寂があったそうだ。
 当然のことながら轟音や絶叫の中の仲間の死や酷い怪我にも容赦なく関わった。
 このような地獄のような体験から、極度のストレスを受けた言葉たちは、とてつもなく重い。

 戦争は、国対国という名目のまさに人間同士の殺し合い、飛んでくる銃弾、爆弾は、現実の殺人兵器だ。
 たった今までさっそうと元気だった人々が、一瞬のうちにただの壊れた命なき人形に変わり果ててしまうのだ。
 銃弾等により奪われた血は、その方々の夢も希望も人生そのものも、大地に流して行ってしまう。
 かっこいいとか、リベンジとかは、ゲームの世界でしかなく、戦争という壮絶な出来事に何の説得力もない。

 今を生きる人々は、戦争経験者の方々の言葉を重く受け止め、平和の有難さ、尊さを今一度真剣に考えるべきであろう。
 ところが、例えば交通事故の恐ろしさなども、実際の事故の映像などを見せないと、わかってもらえない場合が多い。
 人間は、自分が身を以って味わわないと、所詮は理解できない動物なのか、とつくづく悲しくなる。
 これから人間はもっと進化するはず……、私は人類の英知を信じたい。

(注)本作は2010年に書いたものに一部書き加えたものであり、年齢等は2010年当時のものになります。



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