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殺してないから

この作品を読み
三十年前に長男を孕った時のことを思い出した

わたしが最初にかかった産婦人科では不妊治療もしていた

わたしの場合はあっさりと望むとか望まないとかではなく赤ん坊が降りて来た
やって来ちゃった

子供?

わたしは父方の祖父と同じ見た目の汚い病を背負い、死ぬことのない病なのに、薬のリバウンドで死にかかった

幽体離脱までした

こんな人間が母親になるなんて想像だに出来なかった

夫と二人で暮らして行ければいい
夫もわたしの病のことは分かっている

後にわたしは母となり
この男の幼稚さに
成長しない自分自身の考えを持たない人間性に嫌気がさし
どうにも我慢がならなくて
我慢に我慢を重ねたが
お別れをすることになる

それはわたしもお子ちゃまだったと言うこと


不妊治療の明け透けな話しを目の当たりにして
「今朝は何時に(精子を)入れて来たの」
「◯時です」
と機械的な会話を交わしていたことに驚いた

子供が欲しいのに出来ないのはかなしすぎる

こんなことまでさらけ出すのか

それに引き換え…わたしは恵まれているのか

不妊治療の現場に居合わせたのはその時一度だけ

わたしは病院の無機質な分娩室では産みたくないと
その後に自然に産める助産院に替わる

わたしは子供を授かった
それでも育てることはまた生半可ではない

産むだけで終わりではない
そこからが大変だ

こんな苦労をするくらいならいない方がいいと何度も感じた
子供を育てることは自分を育てること
機嫌が良い時はそう思えるが…

多分、めぐみティコさんはわたしはそのスタート地点にも立てないのよ
と思っているだろう

持てるものの悩み 

それでもみんな同じ荷物を抱えて生きている

母は良く言っていた
「こんな病をもらって、夫だけでもあんたを守る人が当たってもいいはずだよね」

全くもって夫までもが私と向き合うことの出来ないもの
わたしの人生どうなってるの

それでも何とか二人の息子を育てた
もう大半は母のおかげ

息子がわたしのことに腹を立てて「親じゃない」と母に話したら
「お母さんを育てたのは、ばあちゃんだから、ばあちゃんが謝るね」と言う

肝の据わった母、そして情け無いけどこんなわたしでも親になれるのか…

多分ね、そんな親の方が多いと思う

あなたはあなたのままでいいからね

上手く言えなくてごめんなさい
親になるのも大変です

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