自己表現×安全・安心

他者がいる環境で自己表現する時、ベースとして必要不可欠なことは、安全・安心、心理的安全性とも言う。

自己表現し慣れていない、あるいは、以前の私のように自己表現抹殺・蓋して押し込む!が慣れっこになっている人は、自分一人で自分と向き合うのもアリと言えばアリですが、信頼できる誰かの力を借りてかすかに浮かんでくる自己表現の泡を感じるところから始めると、だんだんつかめるようになります。
胎動みたいなものですね。最初はホント??そう??お腹のガス??みたいな頼りないような感覚が、徐々に、なおかつ力強く確かに感じられるように。それって胎動だよって言ってもらえると、だんだん感じ取れるようになる。そして、そのうち言ってもらわなくても、ああ、コレねとなり、しまいには、お腹の変形が見て取れるほど、明らかに。
自己表現したいという意思があれば、出来ます。

前置き、長くなりましたが。

他者がいる環境での自己表現は、安全・安心なしには極めて困難。
こんなこと言ったらどうなるか⁈という不安を感じた中での表現は、表現よりも、自分を守ることに重点がおかれがち。そうすると、コミュニケーションの質は落ちる。相手と自分との相互の、だけでなく、そもそも自分とのコミュニケーションにおいて。
他者とももちろんだけど、自分自身との繋がりが阻害されてしまうから。だって、自分が感じている本質ではなくて、環境に重点を置いた表現になるから。本質の表出じゃなくなるよね!コミュニケーションしてますアリバイの世界だ。こういう在り方、他人軸とも言う。
話が進まない、噛み合わない、噛み合ったように見えても飲んだり吐いたり時間ばっかりかかる等々、弊害山盛り。違和感ドーン!。書いてても感じる徒労感溢れたシチュエーション。

違っていいじゃん!違って当たり前。違うところから始まって、すり合わせましょう。違うから新たな展開が生まれるね。じゃあ、どうする?分かり合えないこともあるね、今回はご縁が無かったね。機会があればまた。全然ナシ!も。うまくいくも、いかないも、なるようになるもの。それが必然。

自己表現と安全・安心は両輪。安全・安心が保障されていれば、率直に自己表現できるし、自分としっかり繋がって自己表現できていれば、自分の自己表現を大切にするのと同じように、相手の自己表現も尊重できる。肚の底からの自己表現ができていれば、相手とフラットに向き合える。自己防衛に走らなくて良くて、相手の言動に、そうなんですね〜、としなやかに対応できる。誰もがそうできれば、そういう環境が保障されれば、様々な課題が昇華するなぁ。イジメとか、齟齬とか。根本のことなんだ。

自己表現する人を増やしたい!安心・安全の保障をベースに据えて、自己表現を体感するアプローチをしていくぞ‼️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?