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【鬱日記】もう4月。自戒の念と普遍的疑問

もう4月になってしまった。
受験とかに対する焦りが出てくる。出てくるというか元々そこに存在はしていた、現実逃避して認識しないでいただけのこと。

また、毎度の「病み期」とやらが来てしまったために、全く勉強に身が入らない。昨年のクリスマスあたりにも1週間ほどの病み期がきてしまって、そこから傾向と対策は掴めたつもりであったのだが、駄目だった。
今回の病みは今までと違って、身体的苦痛が+αしている。磁場がくるったような眩暈が襲うのだ。
今日という日まで、10日ほど混沌と浮遊に思考を奪われるニート生活が続いてしまって後悔はしてない(と言い張る)が、やらねばならんことが山積してしまい、やはり後悔の念が沸々と….
10日も経ってnoteを更新しようと思ったのは、やはりこの気持ちをお蔵入りさせてはならないという自戒の念があるからだと思う
(なんとなく前回の投稿文を読んでみると赤面するのだが、なんとなく元気も出る気がしなくもない。
そして、noteを書けているということは割と回復されてきている!

ここに今回の病み期から学んだ新・傾向と対策を記すとする。

なぜ人は病むのか————。
これは私にとって割と幼少期からあった悩みで、普遍的疑問である!!!
私の場合は、すごい楽しくて勉強にも精が出てる時と混沌に沈む涙しか流れん時の落差がひどい。
しかも、不意打ちにやってくるのだから、無理だ。
朝起きたら、あれっ、、まって混沌。。となっている。
多分、不意打ちという認識が間違っているのだとは思う。病むよ?!という警告は出ているのだろうが、いやはや、わからん。

でも、混沌に沈むまで精神がやられるのにはやはり日常の軋みとか歪みとかがちりつもになるからだと考えている。

その軋みとか歪みとかは普段、蓋を閉められているが、ふとした言葉や過去の反芻、そういったものでどんどん蓋が解放されていくのだと考えている。そして溢れ出した時にはもう遅い。
これを”蓋論理”と個人的に呼んでいる。

ここで疑問が2つ
①なぜ解放されゆく蓋を閉め直せないのか。
②封じられているその根本の正体はなにか。そして解消できかねるのか。

まず、”蓋論理”を導き出すのに実に10年ほどかかった。(冗談ではなく、小学生の頃から病み続け、高校2年生の時やっと自明を得た。力になってくださった先生、友人には感謝しかない。
そして、私は次のtermであるこの疑問①②の解消に取り組んでいるところである。

そして、今現在、発見できたこと・解答としては、
疑問①に対して
蓋がズレつつある現状に気づくことができないから。ズレたとしても革命的・抜本的な修正方法をまだ得ていないから。
疑問②に対して
根本の正体は「幼少期のトラウマ」で、今の自分を苦しめているのはそのトラウマから生まれた自分の思考に宿るバイアス。
解消は時間がかかるし、最大の敵は自分。

ということだ。自分が病むことに対しての対処法の鍵である、上記2つの疑問を解消するのには時間がかかることは自明である。
もしかしたら人生の課題にもなるのかと思っているし、薄々小学生の頃から気づいていた。
(この間、小学生の自分が『手塚治虫のブッダと学ぶ もう迷わない生き方』を購入して、祖母に勧めていたことに驚いた笑笑。確かに自分は手塚先生のブッダを愛読している。
※この本はブッダの教えが手塚先生の漫画により端的に纏まっているし、宗教臭くもないので誰でもおすすめ。
URLも貼っちゃう。

とまあ、長々と書いてしまったわけだが、自分は受験生で、共通テストまであと残り286日なわけだ。
「病み」に負けずに頑張っていかねばなぁ。
この幼少期のトラウマについて書く時がいつか来るのだろうか。まぁそれはそれで、明日から頑張るとしよう。


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