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フランス外人部隊への挑戦#3の続きです

かの有名なカステノダリ…

突然その日はやってきます

試験突破組はある日突然並ばされます。
そして、これからカステノダリへ向かう事をフランス語と英語で説明されます。
もう、どう行ったかは覚えてませんが、とにかく着いたんです。
かの有名なフランス外人部隊、地獄の新兵訓練地
第4外人連隊駐屯地カステノダリ。

着いてからは身体検査と制服のサイズ採寸
(さすがフランス❗️制服オーダーメイド)
この身体検査の時に、お互い190センチ近い身長のチェコスロバキアのターミネーターとフランスの人殺し自慢が僕を挟んで、イキリあい後の大バトルを始めて・・一生懸命止めたけど僕の頭は彼らの乳首の下だった(笑)
そうして戦闘服の支給から、認識番号、隊の割り当て、そしてフランス語を喋れない人はbinome(ペアという意味、要するに相方です)を割り当てられます。
なんか最初から不思議だったのが、外人部隊と言いながら半分はフランス語が喋れる…??
そして半分は東欧の国々から来ていて、僕が見た本で1番多いと書いていたドイツ、そしてアメリカやイギリスなんかほぼ居なかった。

ヨーロッパの経済不況

そう、後から気づきましたが当時は空前のヨーロッパ経済不況でフランスは元よりヨーロッパ中が失業の嵐。
二重国籍が許されるフランスでは、スイス国籍だとかベルギー国籍とか言ってフランス人が半分就職で外人部隊に来てたのです。
そして残り半分は、もっと経済が酷い東欧の人々。
チェコスロバキア、ロシア、ウクライナ、ポーランド辺りの人がほぼ半分。
僕のいた部隊は第一中隊はそんな構成でした。
それ以外は日本人とネパール人1人です。

そして、僕の相方はビックリするぐらい堀の深い
映画に出てきそうな顔(笑)文章化出来ないのが悔しいす👇

この顔をめちゃくちゃ意地悪にした感じが僕の相方でした

こいつが曲者で、本当に意地悪でしたが、まぁそんな事は気にしませんでした(笑)なんかあったらやっちまえ!
そんな気持ちで来てますから…

いよいよ憧れの訓練や!

と、思っていると…現実は違います。
まず徹底的に行進訓練。
歩調合わせて歩く歩く、歩き続ける。
歌を歌いながら、みんなが一体になるまで(笑)
これ、めちゃくちゃ大事なんです。
中には2、3人行進ができない奴がいるんすわ。
右手右足同時に出ちゃう、何故か歩調を合わせられない、そんな奴もここで終わり。

これが出来ないやつも居るのです

みんなと同じ事を同じスピードで出来るか?
これが重要なんです。
といってもねぇ~彼らの1歩が僕の1.5歩みたいなもんですから、歩くのさえ非常に疲れるんです。
そして、ブーツが硬くて痛い・・全然僕の足に合わない・・
これは除隊までずっと続きましたが、ずっと気合でごまかしました!
その後は、歌とcode d'honneur(名誉の規範)をフランス語で歌えるか?喋れるか?でふるいにかけられます。
気合で歌とフランス語の規範覚えられない奴もここで終わりです。
この時、僕は忘れられないエピソードがあります。


友情を選ぶ事が出来ない場所、それが外人部隊

そんな環境でも仲良くなった友達が2人出来ました。
2人ともドイツ人で名前はボスとケンペー。
ドイツ人と日本人は第二次対戦で同盟を組み、ボロボロになって負けた敗戦国仲間。
奇妙な仲間意識ですぐ友達に。しかもドイツ人の気質が日本人と妙に合うんですよね。

その1人ケンペーがどうしても「名誉の規範」をフランス語で覚えられなかった…
ある日彼は前に1人で立たされて「名誉の規範」を全て言えと言われます。
そして、ケンペーの前に同じく1例に隊の仲間が並び、ケンペーが喋れなくなる度にフルスイングで腹にパンチをお見舞いしろ・・・・そんな命令が降ります。
みんな、嘘だろ…そんな顔しますが、最初にパンチをお見舞いした仲間が手抜いたと分かると、手を抜いた奴が上官からボコられます。
それを見て、誰もが本気でケンペーの腹にパンチを見舞う様になります。

哀れみが憎しみにかわる集団心理

最初は何故仲間にパンチを?の空気からお前がアホだから俺らがこんな嫌な事しなきゃいけないんだ❗️
の空気に変わっていくんです。

そして、ケンペーは何度も何度もパンチを喰らい続けます。
早く諦めろ!
僕は心で叫びます、じゃないと僕の番が来るんです。
友達殴れんよ!ここでカッコよく「俺は殴れない!」
とか言ってボコボコにされた方がカッコイイ!
・・・そうはいかんのですよ・・・恐怖って、そうはいかんのです。

遂に僕の番。
ケンペーはもう最後まで喋れる訳がない、けど言わされる。
彼は泣きながら僕の顔を見る。
辞めるって言えよ❗️😭
喋り出す…バカ‼️😭
喋りがつまずく・・・
僕は・・・ケンペーという初めての外国の友達にフルスイングでお腹にパンチしました・・・・
勿論、本気の力は込めてない、けど手加減とも取られない力ではやりました。

殴った後のケンペーの顔は言語化できないです。
仕方ない、けど友達、仲良かった、彼は僕に勇気ある何らかの行動を期待したのか?
なんて言ったら良いのか今だにわかりません。
…そして、僕の何人か後、遂に彼は泣き崩れ、叫びながら倒れました。
その後、彼は除隊になりました。

はっきり言ってこの場に置いては、ケンペーがダメなんです。
他人と仲間の生き死にの世界に行くにはケンペーがダメなんです。

でも、ボロボロの友達のお腹にパンチしなきゃいけなかった僕は加害者であり被害者でもあり、言語化がとても難しい感情が心に残りました。

正しいとか酷いとかそんな判断の上の世界。
足手まといなら友達すら殴らなきゃいけない世界。
そーゆー所に来たんだね・・と理解するしかない世界。

そして、もう1人のドイツ人の友達、ボスもある日突然去る事になりました。彼の両親がドイツのフランス大使館に駆け込み、子どもを返せと訴えたそうです。こういった場所での出会いと別れは言葉に文章にしがたい感情が生まれます。
夕方、夕陽を見ながら彼と別れたのは今でも忘れません。

基礎ができない、覚えられない、事情がある、それらを抱えた新兵が必然的に居なくなります。
そして、ここからが正に映画の様な訓練の始まりでした。
初めてフランス軍の正式銃F1 FA-MASが友達になります。 

フランス外人部隊への挑戦#5へ続く

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