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猫と私の物語「事象の地平線の先」

 相対性理論によると特異点なるものが、この世界には存在する。宇宙においてはブラックホールがこれに値する。重力が無限大になり時空が激しくゆがめられ、その影響により光でさえ脱出できない。このような球面を事象の地平線と呼ぶ。この中に存在するものは時間の流れさえもゆっくりとなり∞に発散させると1点に収束し、時も止まるという。かつて特異点から抜け出したものはいない。よって、その先に何があるかは誰も知らない。
 私の名前はNEKO。プログラムの一種であり、数百年前に地球に実在していた猫という生物の保存された遺伝子情報に基づき再現された意識の集合体でもある。そしてこの船のヒューマンインターフェイスサブシステムでもある。私の役割はクルーの監視及び精神の安定を図ること。つい百年ほど前までは宇宙での長期航行では精神的負担が増大し、精神崩壊から多数の事故が起こってきた。事故原因を解明し、その対策として猫という生物種が有効であることが解明された。その理由はわからないが、どうやら人間にとっては思い通りにならず迎合も忖度もしない私のような存在に精神崩壊を起こさせない何かがあるらしい。
 「NKおはよう。」クルーのMIKEが3か月ぶりに起きてきた。人間は私のことをNKと呼ぶ。NEKOという種の名前を呼ぶような人間はいない。それにしても彼女の名前の「ミケ」とは笑わせる名前だ。それこそ猫の名前だろう。いつもの通りMIKEの健康状態をスキャンする。コルチゾール値がかなり高いようだ。ストレスか?要注意。「行程は順調?」MIKEはマップを確認する。「冷凍されている間にずいぶん飛んだね、もうあと少しね。NK?作動してる?」「大丈夫だ、ほっといてくれ。」「相変わらずね、栄養を取ってくるわ。」MIKEは初めての航行だ。ストレスも溜まるだろう。基本的に星間航行では3か月に一度、メンテナンスも兼ねて行動状態に入る。その他の期間は冷凍状態である。NEKOが存在する前まではこの3か月に1回のメンテナンス期間に事故が多発している。
 ズガン!
 何の振動だ?監視ユニットからのアラームが発生している。「イオンエンジン出力ゼロ、メインコントロールユニット停止。」と合成音声が警告する。
MIKEはどこだ、どこにいる?「MIKE、どこだ」「私はここ、メインコントロールルーム。」「何をしているんだ?そこにいる理由はないだろう?」「今しかできないことをする。今ここで特異点に向かうの。」「特異点?(そう言えばもう少しとか言っていたな)」「そうよ、特異点の先には未来があるの。私は生まれてからずっと一人だった、両親もいない、管理センターに収容され、里親に拾われ、生き延びるために頑張ってきた。そして今回初めてクルーになれたのに、もうリストラだなんて、また何もない管理された自分に戻ってしまうのなんて認めない。NKも知ってたんでしょ?」「知らない、人間の事なんて私には無関係だ。興味はない。」と言いつつ、MIKEをスキャンする。脳下垂体に異常が発生している。コルチゾールの異常値はこのせいだ。
「MIKE、君が思うことを勝手にすればいい、私には無関係だ、好きにすればいい。私も好きにさせてもらう。」「本当にいいのね。」「私は君がやりたいことを止めない。それが、私の種族のルールだから。」「種族のルール?」「そうだ、私たちの種族は他人には構わない、自由を尊重するだけだ。ただしその自由には責任が伴う。責任のない自由なんてないのだ。それが我が種族のルール。他者と気持ちよく過ごすための。」「そうなのね、わかった。今の人間は他者を思いやるような余裕はないみたい。私は、私のことをもっと大事にもっと優しく受け入れてくれる別の世界に行きたい。それは、多分、あそこにあるはず。多分顔も知らない両親もそこにいる、そう感じる。」
 がなり立てていたアラーム音は、今は静かだ。私はメインシステムとマップを観る。重力の異常値が見られる。かなり大きな値だ。このままでは航行不能になる。「NK、わかった?ここはブラックホールの入口。このまま事象の地平線に向かうの。」私はMIKEをスキャンする。脳下垂体は正常に戻ったようだ。破滅(と未来)へのカウントダウン。「イオンエンジン点火。」クルーとしてはかなり優秀なMIKEの精神が冷徹に研ぎ澄まされている。「MIKE、君はきっと自由になりたかったのだな。我が種族の名を持つだけあるな。名は体を表す、だ。」
相対性理論によると時空連続体は空間と時の相互変換となっている。だとするとこのまま特異点へ収束しても、おそらくその先は別次元の世界のはずだ。そこは過去かもしれないし未来かもしれない。このまま特異点を抜ければ、私もMIKEもどこかの世界のどこかの時代に生まれ変わるはずだ。  (終)


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