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真夜中のオークション

 空き缶と空っぽの酒瓶、それにマグカップとグラスと書類が山になっているテーブルの上から、オレは小さな白い紙袋を発掘する。その中から、チャラチャラと軽い音を立てて出て来た薬の包装シートは全て空だった。
「マジかよ」オレは一人きりの部屋の中でそう呟いて天井を見上げる。壁の時計の針はもうすぐ二時を指しそうだ。あちこちの女の部屋を渡り歩いて、久しぶりに帰ってきたと思ったらコレだ。処方されていた睡眠導入剤を使い切り、空の包装シートだけを紙袋に戻していた数日前のオレを殴ってやりたい。ドラッグストアの気休めの眠剤を買おうにもこんな深夜に空いてる店はない。

 ――酒とタバコでも買いに出るか。どうせこのままじゃ眠れない――オレはヨレヨレのジャケットを羽織り、タバコのにおいの染みついたマフラーを首に巻いて外に出る。一番近いコンビニエンスストアまでの、往復二十分の散歩。その程度の疲労感でスッと眠りに入れるとも思わないが、酒も薬もない部屋で、ただ苛立ちを抱えてベッドの中に入っているよりはマシだろう。

 三月に入り、日ごとに温かくなっては来ているが、この時間帯はまだまだ寒い。アスファルトの道路とビルのコンクリートの壁が、オレにより寒さを思わせているのかも知れない。数十メートルおきに白い灯りを落としている街灯も、温かみを感じさせてはくれない。

 そんなくだらない深夜の都会の街を歩いていると、不意に声をかけられた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」と。視線を落として歩いていたオレは、その声の主の存在にまるで気が付いておらず、思わずビクッと身体を跳ねさせて「おぉ?」と叫んでいた。
 反射的に顔を向けたその先には細身で長身のメガネの男が立っていた。黒のスーツに身を包み、シャツの色も濃い色だ。頭には黒のシルクハット。なんだ、コイツ。
「驚かすんじゃねぇ。なんだ、テメエ」オレはその男の正面に立つ。間の空間は約八十センチ。素手ゴロなら負けない間合いで対峙する。
「失礼しました。驚かせてしまって、申し訳ございません。どうぞ、ご容赦を。しかし、もう、時間が差し迫っております。ささ、どうぞ、中へ」男は甲高い声で言う。
「誰と間違っているのか知らねえが、オレはこの先のコンビニに向かっているんだ。ったく、ビックリさせやがって。じゃあな」いくら眠れないからといって、人違いのインビテーションに乗るほど暇じゃない。オレは男に背を向け、コンビニエンスストアへ再び歩きだそうとした。
「お待ちください。上堂薗かみどうぞのさま」と呼び止められて、オレは足を止める。人違いと言えるほどに、オレの苗字はありふれたものじゃない。
「人違いじゃないってのか?」オレは再度男に詰め寄って、顔を見る。暗がりで見る顔は明るい所で見る時と印象が違うなんて事もあるのかもしれないが、確実に知らない顔だ。
「はい。わたくしどもはあなた様をお待ちしておりました。上堂薗あつしさま」慇懃ではあるが、敵意のない表情と振る舞いで男はオレのフルネームを言った。
「マジなのかよ」そう言ったオレを、男は大仰な身振りで案内する。どうやら、男が立っていたのは狭い路地の入口で、人違いでなくオレをその路地奥のナニカへ招待してくれるようだ。

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「ようこそ、いらっしゃいませ。真夜中のオークションへ! それでは、本日の参加者様が全員揃ったようですので、いよいよ始めさせていただきます」
 ひと際明るく照らされている壇上で、オレをここに招き入れたシルクハットの男が声を上げている。
「さて、みなさん。お手元にタブレットはございますでしょうか? 入札は全て、そのタブレットで行って頂きますので、タブレットが手元にないという方はおっしゃってくださいね」周りの皆と同じように座らされたふかふかの椅子の、ひじ掛けにくっついている小さなテーブルにはタブレットが置いてある。その黒い液晶画面を軽くタップすると画面が明るくなって【ようこそ、真夜中のオークションへ】という文字と素っ気ない画像が浮かび上がった。壇上の方へ向けて三列に並べられた椅子に座った他の参加者もオレと同じようにタブレットを手に持ち、チラと眺めては壇上の男に注意を注いでいる。最後列の端に座っているオレからはこの会場のおよそ全体が見えている。壇上とは違って薄暗い客席の人々がどんな人間なのかまでは分からないが、ゆったりと間隔を開けて並べられた椅子の数を数えてみると、オレを入れて二十一人の客が入っているようだ。

「今宵、ご参加頂いているお客様の中には今日が初めてという方もいらっしゃいますので、まずは恒例のチュートリアルオークションと参りましょう。もう、既に知っているという方も、是非ご参加頂いて、楽しんでください」BGMも無い中で、壇上の男は話し続ける。男の甲高い声は決して大声ではないが、静かな会場によく通る。二十一人の客は誰も声を上げたりしないから、声を張る必要もないのだろう。
「さて、本日の一品ひとしな目はこちら」男の声に合わせてタブレットの画面が切り替わる。「次回のナンバーズくじの当選番号です!」タブレットの画面にも【ナンバーズ4の当選番号】という文字が出た。はぁ?なんだそれ。そんな眉唾な情報を買えと?馬鹿馬鹿しい。誰がそんなものを信じるというのだ。
「はい。そうですよね。二回目、三回目の参加者の皆さまにおかれましては説明の必要はないと思いますが、本日初めての方には信ずるに値しないものでございましょう。『そんな眉唾な情報を買おうなんて気になるハズがない』そう思われている事かと思います」壇上の男はまるでオレの心を読んだかのように言う。
「ですが、この真夜中のオークション、ここ以外では決して手に入れられないものを取り揃えております。そして、それらそのものは、手に入れた方に百パーセントご満足頂いております。それは落札頂かないと実感はしてもらえないのですが、落札して頂いたその暁にはかならずご実感頂けるものなのでございます。落札して頂かない事には中々信じてはもらえないのですが……。ま、説明はこの辺に致しまして、それでは入札スタートと参りましょう。お手元のタブレットで、どうぞ入札にご参加くださいませ」男が言い終わるやいなや、オレの視界にいる他の客はタブレットを手にし、一斉に操作を始めた。マジか。みんな、こんなものを信じるのか。

「あ、そうそう。言い忘れていましたが、この真夜中のオークション、出品いたしますのは、他のどんなところでも手に入らないものばかり。言い方を変えるなら、お金で買えないものばかり。ですので、皆様に入札して頂くのはお金ではありません。もちろん、落札となるのは入札して頂くモノのその量が一番多かった場合ですし、入札して頂くモノは出品するモノによって変わります。そして、今宵の一品目のこのナンバーズくじの当選番号、これに入札して頂くのは、皆様の、頭髪の、毛根です」半ば興味を失いかけていたオレは男のその言葉を聞いて、再びタブレットに目をやる。【ナンバーズ4の当選番号】と書かれたその画像の下では数字が目まぐるしく変わってる。その数字の下にあるのはどうやらオレの入力フォームで、最下部の数字の絵をタップする事で入札出来るらしい。入力フォームには、左端に¥マークもなければ右端に円とも書かれていないが、右端に【本】と書いてある。本……、髪の毛何本、という事か。

 ほぉ。ちょっと面白いじゃないか。どうやって、毛根を支払うのかは知らないが、髪の量の多寡も個人の資産だというのなら、そこには持つ者と持たざるものがいる。ハゲが貧者であるというマネーゲームか。実際の経済力では勝ちようがないオークションでも、髪の量が資産だというのなら、オレにだって参加資格がある。オレはタブレットを操作し始めた。
 タブレット上でせわしく動いている数字は現在2000を超えた辺りだ。他の入札者は五本単位、十本単位で入札額を上げているようだ。下二桁の数字が目まぐるしく変わっている。何をケチ臭い。たかが髪の毛ぐらいで。オレは4000と入力し、エンターキーをタップした。
 すると、さっきまで目まぐるしく数字が変わっていたのに、4000という数字に変わった途端、ピタリと動かなくなった。ん?まさかタブレットが壊れたのか?
 すると、「おー。4000本と一気に上がりましたねー。さて、どうでしょう、皆さま。これ以上ありますか?この一品目はチュートリアルオークションですから、さほど時間はかけていられません。あと、一分で締め切らせて頂きます」と、壇上の男が言う。ほぉ、どうやら、これは落札できそうだ。オレはタブレットを凝視する。4000という数字は動かない。そして、画面の端の方に目をやって見ると、【お客様の頭髪毛根残高107,813】と書いてあるのに気が付いた。
「はい。それでは締め切らせて頂きます。今回のナンバーズ4の当選番号は頭髪の毛根4000本で落札となります。落札されたお客様、おめでとうございます」壇上の男の声が聞こえる。それと同時に頭の中に、⑨④⑤⑤と数字が浮かんできた。そして、タブレットの107,813という数字が103,813という数字に変化した。なんだこれ。思わすオレは額に手をやり、そのまま髪をかき上げるように右手を後ろに持って行く。すると、今までにない感触が手に伝わってくる。慌てて右手を目の前に持ってくると、今までに見た事のない量の抜け毛が汗ばんだ掌に指にまとわりついている。

「うわわ!」オレは声を上げた。その声に反応して周りの客がオレの方に顔を向ける。彼らはオレをじろりと見やり、そしてすぐに拍手をし始めた。「あぁ、どうも。……どうも……」オレはなんとも冴えない反応をする。彼らの目に、憐れむような、同情するような、意地悪なような、そんな意思や感情があったようにも思えたが、気のせいか。どうにもこの薄暗さでは人の表情までは分からない。
「はい。先ずは滞りなく、一品目が落札されましたが、どうか、みなさま、落札した事が周りの人にバレないようにお気をつけくださいね。ナンバーズ4の当選番号ぐらいでは命の危険もありませんが、この後の品々は落札しそこなった人に恨まれて襲われないとも限りません」壇上の男は物騒な事を言う。しかし、どうにも信じた方が良さそうだ。頭の中に焼き付いた四つの数字と突然の抜け毛、このオークションはどうやらマジらしい。

「さて、次の品。オークションナンバー2。まだちょっと、ウォーミングアップくらいのものになりますが。次の品は八歳の頃の視力。八歳の頃の視力になります。コレを落札された方は、視力が八歳当時に若返ります。近眼の方も、老眼に悩む方もこれを手に入れれば、子供の頃の視力になります。そして、今回入札して頂くのは体臭。体のにおいですね。これにはちょっと単位が付けにくいので、便宜上ポイントとさせて頂きます。これで大きく入札して、そして、落札となった場合、その人の体臭が強まるとご理解ください。そうですね、およそ……ですが、100ポイントで落札となったら、強めのワキガになる……これくらいを参考にして頂ければと思います。それでは、入札スタートです」男の声に連動して、手元のタブレットの表示が切り替わる。さっきまで【ナンバーズ4の当選番号】と書かれていたところは【八歳の頃の視力】となり、その下の数字は1、2、3と、さっきに比べて非常にゆるやかな上昇を見せている。

「あ、そうそう。言い忘れていましたが、チュートリアルオークションを終えたこの二品ふたしな目からは、参加フィーを頂きます。この品を落札する気が無くても、三品目、四品目のオークションに参加したい、この会場にいたいという方には最低参加フィーを支払っていただきます。そして、今回のそれは、当然、体臭pです。ご参加いただく場合、今回は1pの参加フィーを支払っていただく事になります。1pというのは、ほんのわずかに体臭が強まると思って頂いて差し支えありません。余程の近親者にしか気づかれない程度のものです。それが嫌だという方は、残念ですが退場という事になります。また、今後のオークションへのご参加もいただけません」
 オレはタブレットに目を落とす。若い視力になど興味はないが、次の品に何が出されるかには興味がある。さっきの画面にはなかった【最低参加フィーを支払う】と書かれた部分をオレはタップした。

「えー、もうそろそろですかね。数字の上昇はこのくらいで打ち止めでしょうか。現在60……。そうですね、それではあと一分という事に致しましょう。あと一分でこのオークションを打ち切ります」壇上の男がそう宣言したが、タブレット上の60という数字は動かない。もちろん、オレに入札の意思はない。
「はい。それでは、60pで落札となります。落札されたお客様、おめでとうございます!」壇上の男がそういった途端、二列目の中央の客の両隣に座っている人間が同時に咳き込んだ。オレは髪を4000本失ったようだが、あの中央の客は視力と同時にキツメの体臭を得たらしい。体臭とフェロモンには密接な関係があるというから、それを悪臭と思わず、魅力と見る相性の出会いもあるのだと何かで読んだ。彼とオレのペナルティはどちらが重いのか分からない。

 壇上の男の横には一本足で小さな天板を支える背の高いテーブルが並んでいる。男のみぞおち辺りの高さにあるその天板の上には、どうやらオレが持っているものと同じタブレットが載っているようだ。男はソイツを触る事なく、その画面をチラと見ては司会進行を行っているらしい。
「続きましてはオークションナンバー3。本日一つ目の目玉となっております。本日のオークションナンバー3は【予知夢】、予知夢でございます。これを落札された方には予知夢を見る能力が宿ります。その予知夢は、人生のターニングポイントとなる日の前日の夜に見る事になります。上手く行った未来と、どうしようもなく悲惨な未来という二つの夢と、何がキッカケでそうなったのかを印象深い夢で知る事ができるというものです。未来の選択肢とその結果を知っていれば、選択を間違えるという事はなくなります。是非、落札なさってください。そして、今回の皆さまに入札して頂くのは尿酸値になります。診断書でよく見かける方には分かりやすいmg/dLミリグラムパーデシリットルを単位としていますが、今回は小数点第二位0.01刻みの入札となります。なお、最低参加フィーは0.5mg/dLとなっております。高額で落札なさった場合は痛風待ったなしですので、どうぞご注意を」
 なるほど、さっきの体臭と同様、失ってしまうというよりは要らぬものを得てしまうという入札になるのだな。落札したら尿酸値が上る、と。しかし、予知夢、か。興味深い。この数年、健康診断など行った事のないオレの現在の尿酸値がどの程度なのか、そもそものオレ自身の前提が分からないのだが、まぁ、大丈夫だろう。オレは痛風持ちでは、ない。
「あ、そうそう。このオークションナンバー3の入札からは、落札者に次ぐ二番目の高額入札者の方にはその方の入札額の半分を支払っていただく事になります。ええ、もちろん、二番目ですから、その方はこの能力を得る事は出来ません。その方は何も得られずに、ただ、尿酸値が上るという事になります」壇上で男は言う。さっきからあの男、『あ、そうそう』が多すぎる。なによりその付け足しがイチイチ重いのはどういう事だ。まぁいい。競り勝てばいいだけの話だ。オレは『1.11』とタブレットに入力する。

 おかしい。入札額の高騰が止まらない。オレが4.38と入力すれば、すぐにそれを僅かに上回る4.39という数字が最大入札額の欄に浮かび上がる。数字の上がり方から推察するに、現在入札を続けているのはオレともう一人だけのようだ。オレが入力しない間は数字は変わらず、オレの入札額がそれを上回ったら間髪を入れずに、数字はすぐにより大きなものに置き換わる。
 そうか。画面の向こうのもう一人とオレ。そのどちらかが予知夢の能力を得ると同時に、得られなかった方は何も得られず尿酸値だけが上るのだ。それが入力した数字の半分とは言え、無意味なペナルティだけを課されるなんてあってはならない。相手も同じ気持ちだろう。マズい。勝ち筋が見えない。最初のオークション時に出ていた髪の総量十万いくつと書かれていた部分には、現在、【お客様の残高目安:10.00】と書いてある。目安ってなんだよ。しかし、この勝負、負ける訳にはいかない。オレは10.00と入力し、エンターキーをタップした。すると【お客様の残高目安:10.00】という文字は白からオレンジ色に変化した。ヤバい、のか?

 予知夢と書かれた画像の下の、シーソーゲームで動いていた数字は10.00から動かない。勝った、のか?
「おお、激しい熱戦はどうやら決着のようですね。10.00での落札となります。おめでとうございます」壇上の男は熱のこもらない声でそう言った。

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 昨夜のアレはなんだったんだ。夢のようだが、夢じゃない。鏡の中のオレの額の生え際は明らかに後退している。気のせいじゃ、ない。
 あの後も全てのオークションに参加した。結局競り落とせたのはナンバーズ4の当選番号と予知夢だけだったが、次回の参加資格を失う訳にはいかなかった。オレは途中で会場を退出する事が出来なかった。オレだけじゃない。あのワキガになってしまったオッサンだけは早々に退場したが、後は誰も途中で帰ろうとはしなかった。
 オークション終了後、オレは当初の予定通りコンビニエンスストアへ向かい、安ウィスキーのボトルとタバコを買って、眠剤代わりにそのボトルを空けて眠りに落ちた。おかげで、もう昼前だ。電灯をつけなくても、部屋の中は明るい。剃刀でヒゲを剃りながらさっきまで見ていた夢を思い出す。
 一つは病室のベッドの上で優しい看護師に微笑まれている夢。もう一つは自宅のパイプベッドの上で痛みに悶えて苦しみ抜いている夢。どちらも、おそらくは痛風を発症したということだろう。そして、そのターニングポイントはこの後買うナンバーズ4の口数くちすう。前者は10口買った未来、後者は1口だけ買った未来。そういう事らしい。

 痛風になる事が確定してしまった事はいかんともしがたいが、この予知夢の能力は死ぬまで失う事はないと書いてあった。オークション終わりのタブレットの最終確認画面でそれは確認した。

 ならば、この予知夢を使って次のオークションで最適解の行動をとればいい。痛風分を取り返すくらい訳ないに決まってる。

 あぁ、次の予知夢が楽しみだ。
 次のオークションが楽しみだ。

-終-

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