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夜が消えた日

 ベテルギウスが超新星爆発を起こしたと言う。天文学界隈は大騒ぎらしい。ワイドショーで「ガンマ線バーストに巻き込まれなかったのは幸いでした」と、訳知り顔で天文学者崩れのコメンテーターは言っていたが、この天文学界の一大事にテレビに出てるようなオッサンだ。信憑性がどれ程のものかは分からない。

 冬の星座であるオリオン座。その一角に位置していたベテルギウスは今や小さな月のように、しかし、満月の何倍もの光をもって地球を照らしてる。
 今が夏なら昼間でもその明かりが観測できたと言うが、今は冬。オリオン座の位置から放たれるその光は、現在、地球から夜を奪っている。

 いや、「夜を奪う」は言い過ぎか。現在の夜は北極圏の白夜ほどには明るくなく、見知った夜ほど暗くない。白と黒の中間、灰色の夜、【灰夜】とでも言うのが適当だろうか。

 灰の夜、はいよる……這い寄る混沌、オレはクトゥルフ神話の神を思い出す。
 ベランダからベテルギウスを見上げながら、空想と妄想の海を泳ぐ。

「知ってる?ベテルギウスって、600光年離れてるんだって」隣で明花梨あかりが呟く。「600年前の星の最期の光が今、地球に届いたんだね」そう言った明花梨の声は涙声だ。オレは明花梨の顔を見る。ベテルギウスの光が明花梨の頬の涙の筋を照らしてる。
「なぜ泣くの?」オレは静かに問いかける。
「さあ? 偉大な星の最期だからかな」明花梨は言う。「ベテルギウスの周りを回っていた一つの惑星が、実は私の母星だったなんて言ったら、信じてくれる?」泣きながら、無理やりに笑顔を作って明花梨は言う。
「長い旅をしてきたんだな」オレは答える。
「そうね。でも、人は皆、旅人よ?」風が吹いて、明花梨の髪をなびかせる。髪の間から覗く明花梨の尖った耳が見える。大きな目からは、とめどなく涙が流れてる。

「生まれも姿も、さして重要な事じゃないよな」オレは呟く。
「ありがとう。でも、自分にとって一番自然な姿で過ごせる事ほど幸せな事はないわ」明花梨は言う。

 ベテルギウスの光は明花梨の影をベランダから部屋へと延ばす。
「クトゥルフ神話の這い寄る混沌と言う神は、決まった姿を持っていないそうだ」
「そうなんだ。それは、辛いね」オレの呟きに明花梨は答える。部屋に延びている明花梨の影は人にも植物にも見える。

 オレしか知らない世界の混沌がある。そして、オレの知らない世界の混沌もきっとある。

 どうでもいい事だ。

 オレは明花梨を愛している。

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