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4、邪馬台国が九州のはるか南の海上に存在したとならない考え方

❍魏の使節団の見た風景から離れて

これまでの考え方では

魏の使節団が邪馬台国まで実際に辿りついた。そして、
その時に魏の使節団と、行動を共にした官僚による証言、または記録を陳寿は入手した。それを基にして、陳寿が魏志倭人伝にその時の進路を記述した

と考えられてきました。

つまり、結果として、魏志倭人伝の記述は帯方郡から邪馬台国までの行き方になります。記述の順番に辿っていけば邪馬台国の場所が、どこだったのかがわかります。

しかし、今回の考え方では

魏志倭人伝に記載されている方位や距離に関して、魏の使節団の進路とは関係がないと考えています。

なぜならば

魏志倭人伝に記載されている方位や距離を、実際に計測した人は、魏の使節団と行動を共にしていなかった可能性があるからです

今回の考え方では、ひとつの試みとして、この様に考えています。つまり、必ずしも邪馬台国の場所を探す時に、魏志倭人伝の記述を順番に辿っていく必要がなくなっているのです。帯方郡から邪馬台国への行き方とは考えないのです。

❍邪馬台国への行き方でなければ何なのか

今回の考え方では

帯方郡から邪馬台国への行き方ではなく、帯方郡から倭国内に存在した各国への行き方

が記述されていると考えます。

つまり、陳寿はより専門的で、詳細な情報を入手して、総合的に考えて、倭国内の国々の場所を導き出した
そして、魏志倭人伝には導き出した倭国内の国々ごとに、その国への帯方郡からの行き方を記述していたと考えます。(図・倭国内の各国への行き方)

図を見ていただけるとわかると思いますが、これらは、つまり、倭国内の帯方郡から各国への最短コースだとわかります。そして、これらのコースは誰かが、実際に進んだのではありません。もし、各国へ行くとするならばこのコースを進んで下さい。という事を意味します。

狗邪韓国から松盧国までは、どの国へ行く場合も必ず順番に、通らなければなりません。ですので、一回だけ記述して他の国の場合は、省略されたとも考えられます。
この図を見る限り、学術的に言えば「松盧国放射説」といえるかもしれません。

❍伊都国の場所

伊都国が存在したと考えられている場所は、学術的にはほぼ確定しています。現在の唐津市のおおむね東方向25kmに糸島半島があります。

そこがかつての地名と一致し、考古学的な整合性から、伊都国が存在した場所だと考えられています。

しかし、魏志倭人伝の記述と照らし合わせると方位は魏志倭人伝の記述が東南、実際の方位は東と違っています。

そして、標準里を用いて考えると、魏志倭人伝の記述が五百里(およそ220km)、実際の距離はおよそ25kmと大幅な違いがでてしまいます。

❍純粋に魏志倭人伝の記述を信じてみた

今回の考えでは、素人として学術的な事柄をわざと考えないようにしています。素人として、純粋に魏志倭人伝の記述を信じてみます。

もちろん、当時確実に利用されていたと考えられている標準里を用います。すると、松盧国から東南方向五百里です。このあたりになります。(図・伊都国のおおまかな場所)

❍なぜ、純粋に魏志倭人伝を信じた伊都国の場所が受け入れられないのか

魏志倭人伝の記述を順番に辿っていくこれまでの考え方の場合

この様な、伊都国の場所は受け入れられません。なぜならば、魏志倭人伝の記述を順番に辿っていくと考えると、さらに南に途方もない距離を進まなければなりません。

結果、「邪馬台国は九州のはるか南の海上に存在した」となってしまいます。

今回のように、その国自体への帯方郡からの行き方を記述していたと考える場合

この場合、魏志倭人伝の記述は帯方郡から伊都国への行き方、が書かれていると考えます。次から先の国を、順番に辿る必要はありません。

❍方位と里数が記載されている残りの2ヵ国も考えてみましょう。

さきほどの図の通り不弥国、と奴国への行き方を考えてみます。

不弥国は松盧国から、東方向百里(およそ43km)になります。そして、奴国が松盧国から東南方向百里(およそ43km)になります。

そして、目星をつけたおおまかな場所あたりから、適切と考えられる場所を探せば良いのです。

❍このように配置すれば、一応は標準里を用いても魏志倭人伝の記述通り

もし仮に、このように魏志倭人伝の記述が「魏の使節団が辿った邪馬台国への道のり」ではなかったと考えてみると、とりあえずは、陸行の3ヵ国については、標準里を用いても魏志倭人伝の記述通りとなる事ができます。

(図・伊都国、奴国、不弥国のおおまかな場所)

❍最後までお読みいただきありがとうございます

誰もが、特に伊都国の場所に関して、そんなわけがないと考えると思います。でも、本当に、純粋に、魏志倭人伝の方位と里数を信じるならば、本来このあたりにあったと考えてもよいと思いませんか。もちろん学術的に考えると、そんな単純にはいかないと思いますが。

素人としてはそんな風にも考えてしまいます。次回は、とても重要な問題、里数について考えていきたいと思います。興味をお持ちになりましたら、次回も読んでいって下さい。

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