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6、倭国内の各国はどこになるのか

今回はある形式にのっとって進められてきました。つまり、なぞかけ形式です。

魏志倭人伝
と説きまして

魏志倭人伝の記述が
「邪馬台国への行き方」ではなく「倭国内の各国への行き方」だったと考えます。

その心は・・・

となります。ここで、みなさん、独自の考えを導き出すと思います。

つまり、もしこのように考えるとしたらどうなるのか。ひとつの試みとしての考え方です。正解ではありません。みなさん一人一人が想像した考えが、その人にとっての正解です。

ここまでお読みいただいて、ほとんどの人が導き出した考えは

そんなわけないだろ

かもしれません。一つの参考例にしかなりませんが、もしこの考え方に興味をお持ちいただけたのであれば、続きをご覧下さい。

❍倭国内の国々はどこにあったのか

これまで述べてきた考え方をもとにして、いよいよ、より詳細に各国の場所を見ていきたいと思います。
倭国内の国々の紹介は、狗邪韓国から始まります。そして、松盧国までは、現在の地図で確認することができます。

❍伊都国はどこにあったのか

次の伊都国からが問題となります。学術的には問題にはなりません。今回の考え方の場合です。

東南陸行 五百里 到伊都國

まずは、伊都国です。松盧国から東南方向五百里です。一里435m✕500なのでおよそ220km東南方向です。

直線距離ですと宮崎市や都城市あたりまでいってしまいます。しかし、後々説明しますが、伊都国の機能を考えると少し手前の人吉盆地あたりが、良いのではないかと思います。

人吉盆地では、松盧国から直線距離でおよそ四百里になります。地図で直線的に測っただけなので、途中に有明海を通っています。

陸行とありますので、その区間は、道沿いになると思います。なので、ぎりぎり誤差の範囲と考えても良いと思います。ですので、伊都国は人吉盆地のどこかに存在したと考えます。

❍奴国はどこになるのか

東南至奴国 百里

次は奴国です。松盧国から東南方向百里になります。一里435m✕100ですので、松盧国のおよそ43km東南方向になります。御存知の通りこのあたりには有名な、吉野ヶ里遺跡があります。吉野ヶ里遺跡を中心とした地域に存在したと考えます。

❍不弥国はどこになるのか

東行至不彌國 百里

次は不弥国になります。松盧国から東方向へ百里になります。つまり、松盧国のおよそ43km東方向になります。このあたりは現在の九州の中心地域であります。考古学的に考えても、多数の遺跡が発掘されています。大きな国があったはずです。不弥国では少しものたりない気もしますが。

❍投馬国はどこになるのか

南至投馬國 水行二十日

次は、投馬国になります。松盧国から南方向へ水行で二十日です。初めて、日数表記になります。水行二十日がどれ程なのかわかりません。投馬国と邪馬台国に関しては魏志倭人伝の記述があいまいです。水行二十日はとても遠いと考えます。九州の最南端、鹿児島付近にあったと考えます。

❍いよいよ邪馬台国

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月

次は、邪馬台国になります。松盧国から南方向へ水行十日陸行一月です。

邪馬台国の場合も、魏志倭人伝の記述があいまいです。仕方がないので決め打ちです。西都原遺跡で有名な宮崎市あたりが良いと考えます。

松盧国から南に水行で十日、八代あたりで上陸すると考えます。そして、そこから陸行一月です。一月はとても遠いと考えます。九州島の西端から最も遠い九州島の東端付近にあるのが西都原遺跡になります。

(図7・邪馬台国までの倭国内各国の場所)

投馬国と邪馬台国は、多少強引となってしまいます。記述があいまいなので、いたしかたありません。しかし、結果的には八代は、鹿児島までの中間あたりになります。投馬国までが水行二十日、邪馬台国の水行がその半分の十日とつじつまがあいます。

そして、邪馬台国の場合、八代からさらに東へ陸行する必要があります。ー月かかるかはわかりませんが、かなりの距誰を陸行する事になり、魏志倭人伝の記述とつじつまがあいます。(図・投馬国、邪馬台国への行き方)

❍邪馬台国の北にあるその他の旁国

自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

女王国の北に、それらの戸数も道里もわかっている、その余の旁国がある、しかし遠絶の地なので、ここでは明らかにしません。

次に、女王国の北にあるその他の旁国が紹介されます。女王国つまり邪馬台国の北側の広い地域に分散して存在していたと考えます。

つまり、宮崎県の北部、大分県、福岡県東部です。また、「蘇」という漢字が含まれる国もありますので、阿蘇山あたりも含まれると思います。

そして、その他の北の旁国の最後に、奴国が出てきます。これは、前に出ていた奴国の事だと思われます。なので、奴国は旁国ではなく大国になります。以下の通りです。(図8・北の旁国)

❍最後に狗奴国

其南有狗奴國

その南、狗奴国あり

これまでの考え方では、ほとんどが「その」を邪馬台国を指していると考えます。これまでの考え方では、倭人伝は邪馬台国を中心に書かれていると、とらえる傾向にある気がします。

しかし、今回は倭人伝は、倭国を紹介していると考えます。つまり、邪馬台国も倭国に存在する一国にすぎないと考えます。(女王の支配するめずらしい国として、強調されている気はしますが)

ですので、今回は「その」が指す国を直前の奴国にします。すると、奴国の南になります。つまり、狗奴国は熊本県の北部あたりにあったと考えます。倭人伝に記載されている狗奴国の官名、狗古智卑狗(くこちひこ)、と近くにある菊地市の名前が一致します。以下の通りになります。(図9・倭国内の各国の場所)

❍最後までお読みいただきありがとうございます

明らかに、これまでには見られない配置だと思います。この様に、倭国の国が九州の全域に広がっている図は見たことがないと思います。でも、とても面白い考えではないですか。御興味を持たれましたら、ぜひ、次回以降もお読み下さい。

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